今日のトーテミスム

読もう、読もうと思っているレヴィ・ストロースの『野生の思考』。つまみ食い的に前のほうを読んでみると、「基本的なことは『今日のトーテミスム』に書いちゃったからね」みたいなことが書いてあって、それじゃあ「外堀から埋めよ」の法則に従って、『今日のトーテミスム』から読むことに…したんだけど、なんだこれ、なに言っているのかよくわかんない。訳が悪いのか、専門的に過ぎるのか、僕のアタマが悪いのか、どれかはよくわかんないんだけど、驚愕の読みづらさでした。特に序論〜1章の読みづらさといったら。しかしまあ、こういうことだろうな、という解釈を綴っていきましょう。

今日のトーテミスム (みすずライブリー) (みすずライブラリー)

今日のトーテミスム (みすずライブリー) (みすずライブラリー)

「未開の」部族をいろいろ調べていると、「トーテム」というものがあることがどうやらわかってくる。それは例えば、部族の名前が「オオカミ族」となっているときに、その部族はオオカミを特別な存在と認識しているということ。このときのオオカミが「トーテム」に相当する。文化人類学というのは、世界中の民族を調べて比べて、まあ人類について大体こういう普遍的なことが言えるよね、というストーリーなので、「トーテム」についても、こういう対応は世界中で見られるよねー、という理解があって、トーテムをなんらかのかたちで信仰することを「トーテミズム」と言っておくことにしたわけです。
 僕の敬愛する南方熊楠も、このトーテミズムには熱心で(まあ、彼が熱心でないものを探すほうが難しいかもですが)、そもそも自分の名前にある「クマ」と「クス」がトーテムだ、と言っていたくらいで、日本では個人つきのトーテムがあるとかなんとか、大物主はヘビがトーテムなんだよ、というようなことを主張していた。
 まあ、そこで文化人類学者はみんな、これはおもしろい、ということで、トーテミズムを色々研究しだすわけで、なんでこの部族はこの動物を採用しているんだとか、部族間の関係はどうなんだとか、わーっと盛り上がり始める。
 そこに、レヴィ=ストロースがやってきて、「いや、そんなのアタリマエでしょ」って言ってバッサリ切ってしまうのが「今日のトーテミスム」という本のようなのです。ほんとうに、議論が終わった後に読む身としては、そりゃそうだよね、としか言い様がない。議論が盛り上がっているところに自分も参加していて、そこにレヴィ=ストロースが現れたら、すごい奴がきた、ということになりそうだけど。
 今読むとわかりにくいのは、誰も周りで「トーテミズムって不思議だなーどういう考え方なんだろう」と思っている人間が周りにいるわけではないので、この議論の凄さが伝わらないことだ。
・なんでトーテミズムの対象は動植物なの?
→動植物は人間に食物を提供するし、食物の獲得は人間の意識において感動を呼び起こすから。
・なんで信仰や儀式が、人間と動植物間の関係として存在するの?
→動物は自然と人間の仲介者だから、畏敬や危惧、渇望といった感情を喚起する。その感情が、殺害や食事の禁制、種を増殖させることを肯定するよ。
・なんでトーテミスムにおいて社会面と宗教面が両方ともあるの?
儀礼は呪術に向かい、呪術は家族レベルで専門化されるし、家族は氏族に変化していくものなので、呪術(宗教面)は氏族(社会面)に自然に結びついていくよ。
だから、トーテミズムってなにも不思議じゃないよねー、アタリマエだよねー、ということらしい。もう一歩踏み込めば、これを不思議だと思うのは、西洋的な思考から抜け出せてないからですよ、と。あー、もー、ぜんぜん文脈踏まえないと面白くないですね。
 これをうまく説明するには、どういう例が良いのかうんうん唸っていたのだけど、Yahoo知恵袋にオモシロイ例があったので、引用させてもらおう。(なお、もとは立命館大学渡辺公三先生による例えとのこと)

トーテミズムを信じる人類学者が「ニッポン」という未開の地にフィールドワークに入ったと思ってください。その地域では奇妙な卵形の建物に群衆が集まって「ヤキュウ」と呼ばれるある種の祭礼を行うようです。祭礼では「虎」をトーテムとする集団と「巨人」をトーテムとする集団が交互に、つまり互酬性の規則に従って儀礼を行うらしい。ちなみに「ニッポン」では同時に他のトーテム集団が対となって各地で同様の儀礼を行っていることが判明しました。それらは「鯉」「星」「燕」「竜」というトーテム集団である。またこの人類学者は「ニッポン」では、個々人は生まれた年によってネズミ、牛、虎など12種の動物をトーテムとすることも判明した。この人類学者は、それぞれの集団にとってそのトーテムがどのような機能を果たしているのかを歴史的にたどることで調査することとした。

これね。すごいバカバカしくて良い。でも、レヴィ=ストロース冷や水ぶっかける前の人類学者たちは、これで盛り上がってたわけで、それはそれでオモシロイ人たちだなーと思う。