ローマ行ってきた

すべての道が通じてるところへ。

やっぱり街並みの統一感がすごいんだよね。褐色がかった色合いで、夕方がよく似合う街。

ところどころ小さな噴水のようなものがあって、水が流しっぱなしになっている。ローマという都市を支えたのはなんといっても水道技術であり、噴水は「確かに水が届いているのだ」という証明であり、人々を安心させるためのものだったというが、その名残だろうか。
まずはコロッセオへ向かう……ってあれ??

コロッセオはなんの前触れもなく、街のなかに姿を現した。看板があるわけでもなく、徐々に街並みが変わるでもなく、ただ、コロッセオが現れる。このとき初めて、異国であることを認識する。

下の遺跡のような部分は、上に板を載せてフィールドにするための土台である。しかし、複雑なつくりをしている。後で調べたところによると、猛獣(?)や剣士が柱の間に格納されていて、エレベータのような仕掛けで持ち上がり、いきなり床下から現れる、というギミックが存在したらしい。ディズニーランドもびっくりのエンターテインメント施設である。

卑屈な戦士たち。彼らと写真を撮ると、30ユーロ(3000円くらい)請求される。良い子は無視しましょう。うーん、やっぱりこういう人たちはいるんだな。他にも、地下鉄にはスリがわんさかいる。帰国する頃にはだいたいどんな奴がスリかはわかるようになるけど。そして、忘れてはいけないのがブタ売りである。

机や壁にピタ ミンナで楽しいウォーターボール(豚)

机や壁にピタ ミンナで楽しいウォーターボール(豚)

ブタミン、という床などにぶつけて遊ぶおもちゃが一時期流行ったが、あれを売っている人が観光地ではいたるところにいる。観光客が前を歩くと、木の板に投げつける。決して押し売りしてくるようなことはないのだが、うつむいてブタを投げつける行為には、どこかやり場のない思いを感じさせる。
卑屈な戦士、地下鉄のスリ、観光地のブタ売り。僕らはこれらを「やなもの3兄弟」と呼んだが、やはり彼らは貧困層なのである。格差の大きさを感じる。ブタを投げつける行為は象徴的ですらある。彼らはそのレイヤーから抜け出したいが、それはかなわないのだ。どこに行っても同じものを売っているということは、元締め的存在がいるはずであり、ブタ売りたちは彼らからなけなしのお金を払って、それを購入しているはずなのだ。買う人などほとんどいないというのに。

コロッセオを出て、パラティーノの丘を通り、フォロ・ロマーノへ。フォロ・ロマーノが開発されるまで、その土地は丘からの流れを集める沼だったとか。丘にあった街や村からの協議のため、中立的な場所がローマの中心地として開発されたとか。

バチカン。もうお腹いっぱいです。美術館的な意味で。「キリストの変容」とか「ラオコーン」とかがあるバチカン美術館というやつに行ったんだけど、これが複数の美術館をいくつも合わせたようなもので、日本で美術館に行くか、って言ったときの10個分以上くらいのボリュームがあって。たぶんどの作品も、日本だったら目玉になるようなものなので、強さのインフレみたいなことになってるんだよね。スゴいけど、もう無理、みたいな飽和感。

不思議なポーズをする人を冷ややかな目で見るの図。やっぱり宗教画も圧倒的な力を感じるんだけど、個人的にはそういう宗教的な力よりも、ローマ時代の彫刻のほうが感度が高いみたいだ。宗教画が荘厳さ、迫力、力を全面的に押し出してくるのに対し、ローマ時代の作品はつくり散らかしちゃったぜ、みたいな脱力感と、楽しんでつくった感じがして良い。好みの問題かもだけど。

スペイン広場。ローマには公園がないかわりに広場がある。「ローマの休日」っていうコトバがすごくしっくりくる。休日感の溢れる空間である。

ナヴォーナ広場。主におみやげ買うとこかも。今回は土木的なものをあまり見てないんだよね。アッピア街道とか、カラカラ浴場とか。古代ローマ時代の技術力を示すものだから、この辺りは次回に見たいなあ。