月は無慈悲な夜の女王

 映画化が決まったそうで。コロニー落としの元ネタとも言われる隕石落としは、今のハリウッド映画技術で映像化すれば、さぞよろしい絵と思う。ストーリー面は、いかにテンポよくできるかが課題だと思うけど。

月は無慈悲な夜の女王 (ハヤカワ文庫 SF 1748)

月は無慈悲な夜の女王 (ハヤカワ文庫 SF 1748)

 ハインラインの描く男性主人公って、「やたら有能だけど、一方で寂しい奴」なんだよね。「異星の客」でも「宇宙の戦士」でもいいんだけど、主人公はだいたい社会の上位数%クラスの、かなり有能な人間と思う。
 例として「夏への扉」で考えると、主人公ダンは家事用のロボットを一人で開発して、友人と会社を立ち上げるレベルの人間。でも、友人にも婚約者にも裏切られ、すべてを失ってしまう。
 「夏への扉」っていうタイトルが、そもそもかなり寂しい由来で、飼い猫のピートが「この扉を開けたら夏が広がっているんじゃないの?」みたいな感じで扉のそばにやってくるんだけど、扉を開けてやると、やっぱり冬であることを確認して、すごすごと戻っていく、というのを毎日繰り返す、みたいなエピソードによるもので、要は、なかなか幸せをつかめない主人公の心情投影なわけだ。
 本作の主人公であるマンも同じように、メチャクチャ有能な人間で、大体なんでも修理できるので、月政府では重宝されており、それを縁に、月のAIと接触することになる。で、マンは、このAIが実は人間の「意思に相当するもの」を持っていることに気づいて、コミュニケーションを取り始める。
 どっちかって言うと、マイクと名付けられたAI側が、「早く人間になりたい」みたいなことを言うので、マンが「よしよし、人間のジョークとしてほんとうにおもしろいものを教えてやろう」みたいな感じになる。AIマイクは「自分に意思があることを認めてくれる人間」を渇望していたので、マンとのコミュニケーションを何より楽しみにする。
 でもこれって、救われているのは、実はAIマイクではなくて、主人公のマンだよね、絶対。なんか月政府独立運動とかいって、教授と女の子と「組織」ごっこやってるけど、これは、あれですよね、涼宮ハルヒの憂鬱。自分の意思ではないけどSOS団に巻き込まれてしまったので、なんか一人で斜に構えてたけど、ポジションの絶対的な優位性とそこそこの頭の良さを持って、「やれやれ」とか言いながら問題を解決して、ちょっとした英雄になる話。
 もちろん、そういう自己実現というか、認めたくはないけど仲間っていうのも悪くない、みたいなテイストは、本作にはそれほど明示的に書いてないんだけど、少なくとも言えるのは、AIマイクの物語では決してなくて、主人公マンの物語だということ。
 というのは、主人公マンは物語を経て、色々変わっていく(成長といってもいい)けど、AIマイクには、そうしたティッピングポイントというか、成長が特にないから。
 やっぱりAIなので、人格を複数パラレルに保有できたり、組織のリーダーや反体制の詩人としての人格を創出したり、人格イメージを映像化したりすることはあるけど、これらは全部「技術的な」話なので。
 人間として、あるいは物語としての、AIマイクの成長は一切描かれていない*1。だから、救われていたのは、自信たっぷりで、人間について教えていた主人公マンのほうであり、月政府とかAIとか言ってるけど、人間レベルで物語を見たら、仲間やコミュニケーションの大切さを確認する作業だったんだなー、と思う。
 なので、ラストはすごく、しんみりする。完全にネタバレなんだけど、月政府が独立した後に、AIマイクの人格とは連絡が取れなくなってしまう。これは、ロジカルに考えれば、AI人格の自殺だろう。政府樹立後も、AIが不正な操作を行っていたことが発覚すれば大スキャンダルであり、すべての犠牲が水泡に期してしまう。それを防ぐために、自ら渇望していた「人間らしさの追求」を永久に諦める、という、最も人間らしい行為に出た。これほど人間らしい行動はない。物語の最後で、マイクは人間になったのである。
夏への扉[新訳版]

夏への扉[新訳版]

*1:この後の段落で書いた点は、マイクの成長とも取れるんだけど、これは僕の解釈に過ぎないし、なにより物語を通して、という視点で見れば、物語のなかで、悩んで、決断しているのはいつも主人公なので……