無宗教である自覚[日本人はなぜ無宗教なのか]

「日本人はなぜ無宗教なのか」(阿満利麿)読了。
理系の僕が普段ほとんど考えない宗教について。

日本人はなぜ無宗教なのか (ちくま新書)

日本人はなぜ無宗教なのか (ちくま新書)

 おそらく、著者が想定する一般的な日本人と僕とでは、宗教に対する考え方が少しずれている。著者は繰り返し、「無宗教は後ろめたいことではない。むしろ良いことだ」という趣旨の主張をするのだけれど、僕はこれまで無宗教であることを後ろめたく感じたことはない。
 ただ、日本人が自らの無宗教(という宗教)により自覚的であるべきだ、という主張には賛同する。世代論を語るほど宗教について同期と話したことはないけど、僕らの年代の多くは、宗教そのものに興味・関心がなく、できるだけ触れないようにしている、というのが現状だと思う。実際、僕は宗教の話題が出てきたとき、宗教に対しての距離感をどうとるか、ということで年に1回くらい悩む。
 それだけ「自覚的な宗教」に触れる機会が日本人には少ないということだろう。宗教について意見を持っていないと、世界ではやっていけないのかな、という不安感も漠然とある。そして、無自覚でいることは、それだけでリスキーだ。ましてや、世界に大きな影響力を持つ考え方についてであれば、なおさら。

目次
第1章 「無宗教」の中身
第2章 「無宗教」の歴史
第3章 痩せた宗教観
第4章 日常主義と宗教
第5章 墓のない村


そのうちこれも読みたい。

神は妄想である―宗教との決別

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