自由をつくる 自在に生きる
「自由をつくる 自在に生きる」(森博嗣)読了。
自由とは、自分の存在価値の基盤では?
- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2009/11/17
- メディア: 新書
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目次
まえがき 「自由」に対する誤解
1章 人生の目的は自由の獲得である
2章 他者からの支配、社会からの支配
3章 身近に忍び寄る支配
4章 支配に対するレジスタンス
5章 やっかいなのは自分による支配
あとがき
はいはい森博嗣森博嗣。本書はCDに喩えると、森博嗣エッセイのコンセプト・アルバム。コンセプトはもちろん「自由」だ。
「こだわらない」ということ
自分はそれが好きだ。好きだった。けれど、これからもずっと死ぬまで好きでいなくてはいけないわけではないし、また、ずっと好きであっても、その「好きさ」によって、それ以外のものを「食わず嫌い」で切り捨ててはいけない。
最近の個人的な課題は、この辺だと思う。ひとことで言えば「こだわらない」ということ。「こだわる」というのは、自分で自由を制限している状態で、それを自覚している分には問題ないけど、自覚できていないで「こだわる」と、本来的・自発的な楽しさを見落としてしまう。それは、すごくもったいないことだし、その不自由さが不快感や理不尽さを生み出したりする。
自由以外に、思考の目的はない
「自由以外に、思考の目的はない。人間が思考によって獲得する価値のあるものは、それ以外にないからだ」
引用は本書ではなく、笑わない数学者 MATHEMATICAL GOODBYE (講談社文庫)より。僕が森博嗣の自由論と出会ったのは、たぶんこのセリフが最初だ。当時はどう思ったのだったか。確か「そんなはずはない。もっと多様な目的があるだろう」みたいな感想だったと記憶する。
今なら、このセリフの意味がだいたい分かる。自由に生きていなければ、「自分」が生きている意味はない。自由でないもの、なにかに操作される存在は、代替可能なものだ。代替可能なら、別に「自分」でなくたって構わない。自由とは、すなわち自分の存在価値の基盤ではないか。
蛇足
完全に森博嗣信者的なエントリになってしまったけれど、自覚しているということで見逃していただければ、と思う(誰に?)。
期せずして、「自」という文字が多く目につく。「自由」「自在」「自分」「自覚」。「自ずから(おのずから)」という指針には、本当に価値を感じている。