恐山に行ってきた

ひとつ積んでは母のため ふたつ積んでは父のため

イタコで有名な、青森県にある、あの恐山。青森市から車で3時間。もしかしたら、函館から船で来たほうが速いかもしれない。意外なアクセスの悪さに、午前中では人も両手で数えるほどだ。

車を降りると、硫黄の匂いが鼻を刺激する。恐山というのは、ひとつの山の名前ではなく、周囲一帯を指す。

下北地方では、古くから信仰の地とされていて、人が死ぬと魂は恐山へいくのだとか。「お山さ行ぐ」である。確かに、真っ白な礫は人の骨を連想させるし、緑に覆われた山と、恐山のコントラストは生と死のようでもある。

硫黄の匂いが強くなる。正確には硫化水素だ。そこまで考えて、小学生のころの塾の先生の言っていたことを思い出す。硫化水素が山の窪地に集まっていて、急に意識を失って倒れるらしい。怖い。

一応、順路は存在するのだが、歩くべき道というものが明確に定められているようにも思えない。こんなに見晴らしは良いのに、うっかり帰れないどこかに迷いこんでしまいそうだ。

賽の河原で石を積む、という行為がなにを指すのかわからなかったので、ググッてみた。どうやら、死んだ子どもが生前に為し得なかった善行を積むために、石で塔を築くのだとか。

かざぐるまでつくられた「平和」の文字だ。積み上げられた石、かざぐるま、平和への祈り。脆く、壊れやすいものがここには集まっている。フラジャイルなものが集まりやすい空間と言えるかもしれない。もちろん、もっとも象徴的なものが、命である。

恐山には無料の温泉がある。これが、なかなか良い。なにが良いのか、と言われると、なかなか難しいのだが、恐山という非日常空間で温泉というシチュエーションが素敵かと思う。

そう言えば、「三途の川」を渡って、ここに来たのだった。血の池地獄もあったな。恐山を一周りするのは、生まれ変わることを意味しているのかもしれない。

恐山のキーワードはフラジャイルとコントラスト、と言えるだろう。かざぐるまがよく似合う。