東京の自然史
いつぞやの古本市で見つけた「東京の自然史」。確か、東北の震災のあと半年くらいしてから新版が出たのだったような。あの頃、東北の震災から、やがて来る関東の震災への危機感は刺激され、こうした書籍の需要の高まりを思わせた。
- 作者: 貝塚爽平
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/11/10
- メディア: 文庫
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ここ50年の建設・土地利用の歴史というのは、地形を無視して、無理やり建物を建ててきた時代だと言える。技術で問題を解決してきた、というよりは、問題そのものに気づかなかったという意味において。だから、液状化するような土地にマンションを立てるし、氾濫原にも住宅地は広がるし、土砂災害が起こりやすい場所に家屋を建てたりしてきた。まあ、そもそも国として欧米モデルに発展しようとしてきたわけで、ロンドンやパリになろうと思って都市をつくったら、そういった面は無視されるだろう。災害の種類や頻度がぜんぜん違うのだから。
でも、震災以後はそうした流れも見直されてきて、例えば水浸しになる地域に住むのは控えた方がいい、という認識が一般の人々にも浸透していった。それまで土木や地質の人たちがずっと言ってきたのに浸透しなかったことが、ようやく大災害というイベントを通じて理解されるようになったのだ。まあ、「ずっと言ってきた」の言い方はどうだったのか、という問題はある。貝塚爽平はこの点をこう指摘した。
ニューヨークやロンドンを例に引かなくとも、大阪にも横浜にも郷土に根ざした自然史の博物館があり、具体的なものを通じて土地の自然を体得できるのであるが、この大東京にはそれがない。
あー、確かにそう言えばそうだ。現代社会において、自然史博物館という形態がベストかはちょっと置いといて、東京にはそういった施設がない。僕は、国立にある「くにたち郷土文化館」を思い出している。僕はここで湧水が崖の下から湧き出る仕組みを知った。崖のことを「ハケ」や「ママ」と呼ぶこと、透水層と不透水層の境目から水は湧きだしてくること、段丘崖がそのポイントとなっていること、などなど。風景と経験は、すぐに広範の地形情報と結びついた。そういう、風景と知識の接続があれば、もっと賢く住めるし、賢く暮らせるはずだ。
とは言え、博物館好きとしても言わせていただくと、最近の博物館事情は芳しくなくて、ここ数年で船の科学館*1、逓信総合博物館、交通博物館なんかはなくなっちゃってるからなあ。いやあ、ていぱーく好きだったんだけど。切手集めの「品格」のようなものが下がってしまったのは、やっぱり大衆化したからかな。それとも単に地味だから衰退したのか。切手の必要性がほとんどもうないからなのか。
「アースダイバー」の著者でもある中沢伸一は、「森のバロック」で江戸時代に民俗学が盛んになったことについて、「自分たち市民の住む都市なるものの、隠された始原を探求しようとしていた」と述べた。地形や地質についても同じことが言えるだろう。コンクリートと建造物で覆われた大地を丸裸にしたら、そこにはどのような姿があるのか?それは、今の都市が今の都市である姿にどう影響しているのか?そう考えさせるのは、どこか「郷愁」に近い思いだ。