レタス・フライ

レタス・フライ」(森博嗣)読了。
森博嗣の短編集。以下、感想など。ネタバレあり。

レタス・フライ Lettuce Fry (講談社文庫)

レタス・フライ Lettuce Fry (講談社文庫)

ラジオの似合う夜

 Vシリーズ。いや、登場人物がVシリーズの人たちというのはもちろんなんだけど、雰囲気がVシリーズ。それを文章で説明するには、僕の能力がちょっと足りないみたい。

檻とプリズム

 森博嗣らしい。僕が一番好きな作風でもあり。

 だからね、そうやって、わからない振りをする、知らない振りをする。わかろうとしない。知らないままでいようとする。それこそが、檻の仕業なんだ。

 なぜ「殻」や「箱」ではなく、「檻」と表現したのか?「殻」は破られることを想定され、つくられている。「箱」もそうだ。「檻」はそんなフレンドリィなものではない。閉じ込めるためのもの。もっと絶望よりのものだ。それぐらい、「檻」を否定的に描いている。

砂の街

 求めれば消えてしまう。街はその残骸に埋もれている。ということだろうか。まあ、意味なんかない、という説が有力(主に僕の中で)。

刀之津診療所の怪

 えと、「白い刀」については、森博嗣を知っているだけに想像がついてしまう、という・・・。診療所の先生が誰かについては、叔母様よりも数行だけ把握が遅れた。最後まで読んでも意味がわからなかった方は今夜はパラシュート博物館へ THE LAST DIVE TO PARACHUTE MUSEUM (講談社文庫)を読むといいと思う。

ライ麦畑で増幅して

 唯一ノベルス版に収録されていない短編。午前と午後が背中合わせ、ってアンプ(amp)のことでよいのかな?

 謎解きの要素を散りばめているにもかかわらず、「砂の街」とか「証明可能な煙突掃除人」とかで「理解」を拒絶してくるようなところが良い。たぶん、「意味がわからない」という感想が少なからずあるのだろうけど(僕もある)、そのこととストーリィの質や美しさは直接関係しない。