なぜコピペが面白いのか?

僕らはコピペネタが大好きだ。
最近では、「なにそれこわい」(はてなキーワードにリンクしますように)とか面白かった。
ところで、ある形式を模倣して、そこにおかしさや面白さを見出すのは、コピペに限らない。
例えば、ダジャレがそうだ。
「ふとんがふっとんだ」が面白いのは(面白くないけど)、
「ふとん」という単語と「ふっとんだ」という単語の音が似ていることに由来する。
あと、モノマネなんかも形式を模倣することで面白さを引き出している。


ではなぜ、これらは「面白い」のだろうか?
コミュニケーションの基盤が模倣にあるからかもしれない。
なにかを表現したとき、それを他人が模倣することが、分かってもらえたことの合図となる。
SFのファーストコンタクトものでは、コミュニケーションの始まりは
相手の言ったことを繰り返すことだったりする。
聞き上手になるには相手の言ったことを繰り返せ、などというが、この感覚に近い。
僕らはこのような模倣を繰り返すことで、他人を「理解」してきたし、されてきた。
つまり、模倣を面白いと感じるのは、他者との共有を得たい、という感覚に由来する・・・ような気がする。
逆にいえば、コピペネタが多いところの構成員は、共有の感覚を切実に欲しているのかもしれない。


みなさんは、どう思いますか?(共有を得ようとしている)