「曖昧な理解」根絶キャンペーン実施中

 今日は珍しく抽象思考モードで書いてみる。

 もともと、自分はどちらかというと抽象的な思考をする傾向があると思っていたけど、最近気づいたのは「抽象的な理解」だと思っていたなかに、「曖昧な理解」がかなり混じっていたこと。「理解していたと錯覚していた」と近い感じだけど、それより少し厄介。他人に訊かれたら説明することはできるにも関わらず、共有している前提がないと伝わらなくて、その前提の理解が十分じゃない、という状況。

なんで「曖昧な理解」がたくさん混じってるのか

 たぶん僕の思考パターンに問題があるのかなと思う。というのも、僕は必ずしも原理を理解する必要はないと思っている。理解は応用や創造にはかなり有効だけど、すべてのシーンで理解を優先していてもいいことはない。理解したからといって、それを適用できるとは限らないからだ。そんな考えが根底にあるので、なんらかの方法を理解してから使う、というよりも、まず使ってみて、そのあと理解が追い付いてくる、ということが多い。
 このスタンスでいくと、理解が十分ではないにも関わらず、「使え」てしまう状況が多い。ので、理解が曖昧なまま放置されていたりする。別に悪いことだとは思わないけど、新しいものを創ったり、研究したりするにはやや不利なようだ。まず原理から入る人は、抽象的な理解が良くできていて、その理解に基づいていろいろなものを生み出している(ような気がする)。


「曖昧な理解」を「抽象的な理解」に昇華するには

 今の学習・思考スタイルは「使いながら曖昧さをデバッグしていく」が主だけど、これをメインにするのは、時間の価値が相対的に上がってからのほうがいいのかも。時間のある学生のうちは体系的な学習していくほうが長期的にはプラスなような。もちろん両方をやっていくとして、もう少し体系的な学習にウェイト置いたほうがいいのかな、と。時間が減ってくると体系的な学習をする機会は減るだろうから。あ、でもこれって興味がないことをやるのがひどく苦痛な人には向かないのか。僕はあまり苦痛度が高くないからいいのかもしれないけど。まあ僕は興味とやる気の相関がわりと大きくない*1ので、体系的な勉強に力を入れてみるのもいいかもしれないな、と思った。

……というエントリーを書くことによって、院試勉強のモチベーションを上げるセルフライフハック!!(なにが「いいかもしれないな」だ。今勉強しないでいつ勉強すんだよ試験前だろ

*1:つまり、興味がすごくあっても、やる気がかなり湧くわけではない人間なのです。