本質を見抜いていないと、どういう指摘をすることになるか

ダムマニアは美的感覚が貧しいか本質を見抜く力が無い -長い正夢

と、それに対する反論(?)→げてものぐい -速報ダム日和
ふーん。
僕はダムマニアではないので、外来種問題を思い出した。


 僕が中学〜高校生のころ、世間では外来魚問題が今より大きく取り上げられていた。論争の中心はブラックバス*1だった。当時、「ブラックバスがメダカを食う」なんて本が出たりもして、よくシンポジウムなんかも行われていた。魚好きの僕も、そういうのに参加したりして、外来種問題を深刻に考えていた。今も、外来種を駆除するべきだ、という僕の意見は変わらない。それでも、同じ意見を持つ人の中にもいろいろな人がいて、その中には賛同できないものも多かった。


「日本の川に、あんな気持ちの悪い生き物がいるのはおかしくないですか?」

 魚とりをして、玉網に入ったバスをどうするかはしばらく悩んだ。生態系を考えれば、殺したほうがいいのか、と。最終的に、家で飼うことにした。これ以降、外来種を捕まえたときの対応は、「飼う」だ*2特定外来生物法の制定されていなかった当時は、オオクチバスブルーギルを飼うことは違法ではなかった*3
 水槽を泳ぐバスを眺める。まだ10cm前後のバスの群れは、決して「気持ちの悪い」生き物ではなかった。むしろ、美しかった。イカワの婚姻色が美しいように、カマツカが餌を探す仕草が愛らしいように。その点において、在来種となにも変わらない。


「バスは悪い生き物だから、殺さないといけないよ」

 それからしばらくして、「いきものとふれあおう」みたいな小学生向けのイベントのお手伝いをした。講師として呼ばれていた人は魚が好きな方で、とても話があった。人柄も悪くないように思えた。
 やがて、講師はバスを捕まえた。おっ、子供たちに外来種問題を伝えるいい機会。どういうふうに子供たちに伝えるのだろうか?子供に理解させるのは難しいだろうな、などと考えて見ていると、
「みんな、これはオオクチバスっていう生き物だ。
もともとは日本にいなかった生き物だから、殺さないといけないよ」
そういって、長靴で、踏みつぶした。
多くの子供は引いていたように思う。自然な反応だ。


「釣りなんかのために」

 これは、ある生態学者の発言だが、
「釣りなんかの遊びのために、生態系が乱されるなんて」
 釣りは、楽しい。僕は器用ではないので、仕掛けを延々何時間もつくって、それでもボウズ、なんてことは珍しくないのだけれど、それでも釣れた時の喜びは忘れられない。
 バス釣り人のなかに、密放流を行っている人がいるのは事実みたいだけれど、それは釣り自体を貶める理由にはならない。釣りそのものの批判をすれば、バス釣り以外の釣りが好きな人を敵に回すことになる。そこまでいかなくても、「ああ、的外れな指摘をする人なのだな」と思われる。誰にメリットがあるの?


まとめ

 僕が「バスを駆除すべきだ」と考える理由は生態系そのもの、あるいはその機能を悪化させるからだ。その生物が嫌いだからではない。仮にそう思ったとしても、それを口にすることは、頼まれてもしないだろう。そういった本質から外れた指摘は、問題を遠ざけ、解決を難しくする。


それでは、問いましょう。
バスは醜い生き物ですか?
バスを美しいと思う人の美的感覚がおかしいのですか?
それとも、バス釣りが低俗な趣味なのですか?
仮にあなたがそう思ったとして、それらを指摘することで、美しい自然が還ってくると思いますか?

*1:オオクチバスコクチバスなど

*2:アメリカザリガニを除く

*3:今は許可がないと飼えないはず