プロフェッショナルの条件

「プロフェッショナルの条件」(P・F. ドラッカー)読了。
「成果をあげる」とはどういうことか。

Part1 いま世界に何が起こっているか
 1章 ポスト資本主義社会への転換
 2章 新しい社会の主役は誰か
Part2 働くことの意味が変わった
 1章 生産性をいかにして高めるか
 2章 なぜ成果があがらないのか
 3章 貢献を重視する
Part3 自らをマネジメントする
 1章 私の人生を変えた七つの経験
 2章 自らの強みを知る
 3章 時間を管理する
 4章 もっとも重要なことに集中せよ
Part4 意思決定のための基礎知識
 1章 意志決定の秘訣
 2章 優れたコミュニケーションとは何か
 3章 情報と組織
 4章 仕事としてのリーダーシップ
 5章 人の強みを生かす
 6章 イノベーションの原理と方法
Part5 自己実現への挑戦
 1章 人生をマネジメントする
 2章 ”教養ある人間”が社会をつくる
 3章 何によって憶えられたいか
 付章 eコマースが意味するもの――IT革命の先に何があるか

なんか、付箋だらけになった。後半は付箋の量をセーブしたのに、このありさま。密度の濃い本であることは間違いなし。

善意だけで行動することは、社会的に責任あることにはならない。組織が、本来の目的を遂行するための能力を傷つけるような責任を受け入れることは、無責任である。能力のない領域で行動することも無責任である。

 このことは、僕が大学生前半で環境問題に関する活動に熱心だったころ、よく感じたことだ。いかに善意のみで行動する人間が多かったことか。いかに能力のない領域で行動する人間が多かったことか。
 例えば、里山保全活動であれば、学生サークルが団体として行うのはかなり難しい。環境管理は順応的管理(アダプティヴ・マネジメント)でなければならない。つまり、環境に手を加えたら、その影響がどのように出ているかをモニタリングする。その後、その結果を踏まえて次年度の管理方針を決定する。
 管理のサイクルは1年であり、もちろん途中でやめるわけにはいかないし、1年やそこらで結果の出るものではない。必然的に、活動のスパンは数年になる。大学生が成し遂げるには、継続性という問題が立ちはだかることとなる。というか、なりました。

「自己マネジメント」の重要性

知力は当然ある。想像力もある。知識もある。しかし、知力や想像力や知識と、成果をあげることとの間には、ほとんど関係がない。

 社会人になれば、いやというほど経験するだろうな、と思うけれど、学生のうちからこのことはだいたい分かる。卑近な例では、ペーパーテストの成績はいいけど、プレゼンになるととたんにクオリティが落ちる人なんかがいて、成果をあげようとしていなかったんだな、と上から目線。問題は、どのようにして成果をあげればいいのか?ということだ。ドラッカーはこのように言う。

知識労働者は自らをマネジメントしなければならない。自らの仕事を業績や貢献に結びつけるべく、すなわち成果をあげるべく、自らをマネジメントしなければならない。

 当たり前なことを言っているようだが、質の高い自己マネジメントを行うのは難しい。このブログも、9月に入ってからは毎日更新していたのだが、10月に入ってからは2日に1回以下の更新頻度に落ちてしまった。実は9月は、森博嗣のブログ*1に倣って、4日分先取りで書いていたのだが、それは1ヶ月しか続かなかった。

成果をあげるために何をすればいいか

もう少し具体的には、以下のようになる。

  1. ビジョンを持つ
  2. 誇りをもち、完全を求める
  3. 日常に継続学習を組み込む
  4. 評価を仕事のなかに組み込む
  5. 事前の期待と結果を比較する
  6. 新しい仕事には新しいやり方を適用する

僕は「ビジョンを持つ」はそれなりにやってきたつもりだったが、肯定してくれなそうな人の前では口を閉ざしてしまうあたり、まだ「誇りをもち」の部分が足りないかな、などと一通りチェックをかけてみた。
 たぶんこれらの項目が実際に要求される時期は、人生のなかでも少しづつ異なっているように思う。「日常に継続学習を組み込む」はだいたい全年齢対象な気がするが、「新しい仕事には新しいやり方を適用する」が必要となる時期は、人によってばらつきが大きいかもしれない。この本はたびたび開いたほうが良さそう。

気になったフレーズ

成果をあげる人は、何よりもまず、問題の理解に関心を持つ。誰が正しく、誰が間違っているかなどは問題ではない。

しかし、テクネが専門知識となった今日、それは一般知識として位置づけられなければならない。

今日でも私は、この「何によって憶えられたいか」を自らに問い続けている。これは、自らの成長を促す問いである。なぜならば、自らを異なる人物、そうなりうる人物として見るように仕向けられるからである。

おわりに

 見ろ。すっかり長文になってしまった。というか引用が多い。引用が多いということは、「すごい!すごい!」と言っているだけに近い。これは、本書と僕では、本書のほうがレベルが高いということである。本書を自分の経験だけで語れるようになれるくらいには、成長したいものだ。

*1:今はもうない