今年読んでよかった本 in 2009

 年末なので、今年読んでよかったなーという本でも紹介してみようかと思う。対象は、僕が今年読んだ本のうち、オススメできる本。あと、このブログで言及したもの。ブログで感想書いてる以外にも何冊か読んではいるけど、それらは僕としては「読めていない」という扱いなので、取り上げない。

菊と刀 (光文社古典新訳文庫)

菊と刀 (光文社古典新訳文庫)

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 何がすごいって、著者が一度も日本を訪れたことがないということ。もしかしたら、日本人論としてはイマサラな本なのかもしれないけど、これを読むと「日本人」の見通しがかなり良くなる。
 例えば、「応分の場」や「恥の文化」などは現代にも根強く残っている。もちろん、良い悪いではない。単に理解が深まるというだけだ。
 一方で、そういう目に見えないものに、「文章」というかたちが与えられると、すべてが理解できたような気分になる。そうすると、今度は、思考がその言葉に引きづられてしまうわけで、ある生物学者はこう警告する。感想文はこちら
 サブタイトルの「競争なき社会に生きる」は、生物の世界は「競争」という単一な原理のみに支配されているんじゃないよ!という意味。
 「競争」という概念は生物界の事象を説明する上で欠かせないが、その言葉によって思考が束縛されていないだろうか?余計なイメージが紛れ込んでいないだろうか?それを対象に投影していないだろうか?
 それにしても、ヒキガエルかわいいよヒキガエル。専門家の書く本は、専門の人しか面白くなかったりすることが多いけど(特に日本人の本)、この本は例外。とても面白い読み物。ヒキガエル好きになれることうけあい。
 今年の読書傾向を振り返ると、今年はこういう生態学よりの本の比重がかなり減った気がする。代わりに増えたのは土木系の本。特に良かったのは、これ。
増補 洪水と治水の河川史―水害の制圧から受容へ (平凡社ライブラリー)

増補 洪水と治水の河川史―水害の制圧から受容へ (平凡社ライブラリー)

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 また平凡社ライブラリーか!別に回し者ではありません。
 大熊孝と言えば、土木界では反ダム派急先鋒なわけで、その辺は割り引いて読まないと、という感じではある。
 しかしそれでも、最近は「少しは水害にあってもいいじゃないか」論は、やはり認めざるを得ないような気がする。まだなにかを主張できるレベルには程遠いけれど。来年の個人的テーマは、「堤防」になるかもしれない。
 そんな土木だけど、最近は向かい風。「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズは方向性としては間違っていないが、おそらく本質はつけていないだろう。だいたい、コンクリートについて何を知っているのか?と言いたい*1。というわけで、文明誌。
コンクリートの文明誌

コンクリートの文明誌

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 読ませてくれる!一般の読者を対象として、本がデザインされているからだ。
 コンクリートがいつから使われていたか、ご存知だろうか?ネタバレかもしれないから伏せておくけど、例えばそれは、「18世紀から」とかではない。コンクリートの歴史は驚くほど古い。
 すべての物事は、知れば知るほど、複雑であることが理解される。単純に思えるものは、自分がそれについてほとんど無知であると考えて、だいたい正解だ。本書を読めば必ず、コンクリートが奥の深い材料であることが分かる。
 ちなみに、著者の小林一輔は今年お亡くなりになった。お悔やみ申し上げます。僕のような若輩者にまで声が聞こえてきたわけだから、主張をすることを最期まで諦めなかった人なのだな、と思う。
 やはり、技術者だからといって主張をおろそかにしてはならない。そういうことでいくと、テルツァーギも、最期まで主張することをやめない技術者の一人だった。
土質力学の父 カール・テルツァーギの生涯―アーティストだったエンジニア

土質力学の父 カール・テルツァーギの生涯―アーティストだったエンジニア

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 土質力学の父テルツァーギの生き様を追った一冊。今年の僕の読書傾向を振り返ると、一人の人間にスポットライトを当てた本を読み始めたことが挙げられる。デ・レイケとかね。これは、今までなかった傾向だ。明らかに、生き方のモデルを求めているのだ、と自己分析できる。
 テルツァーギには、技術者としての生き方はもちろん、自然をどのように捉えるのか、そしてそれをどのように描写するのか、というところに学ぶべき点たくさんあった。
 自然を描写するという点で言えば、「砂の女」も忘れがたい。
砂の女 (新潮文庫)

砂の女 (新潮文庫)

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 「砂」というものをこんなふうに描けるのか!
 読んでいると、こう、口の中がジャリジャリしてくるのである。シャワーを浴びて砂を洗い流さないといけないような気分にもなる。
 ありきたりな表現だが、時代を感じさせない。まだ、社会が「砂漠」だからだろうか?いや、おそらく「砂漠」は人間から切り離せるものではないから、永遠に「砂の女」は新しくあり続けるだろう。
夜と霧 新版

夜と霧 新版

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 ユダヤ精神分析学者が、自信のナチス強制収容所での体験を語ったもの。
 「生きる意味ってなに?」という問いは、僕も子供の頃、好きだった。誰かが「生きる意味」なるものを用意してくれると信じていたのだろう。森博嗣ならここで「微笑ましい」と言うかもしれない*2
 その問いそのものが間違っていることに気づき、それでもなお、こういう本を必要とする僕は、一体なんなんだろう。文章になっていないと納得できないとでも言うのだろうか?良くわからないが、本書は、一生手もとに置いておきたいと思う本のひとつだ。


以上、7冊。来年も面白い本が読めますように。

*1:いやまあ、問題はそこではないのは分かってるけど

*2:森博嗣の「微笑ましい」は「軽蔑する」とニアリーイコールな気がするが、気のせい?