卒論発表の感想など

 卒論発表が終わった。あとは卒論を提出してしまうだけなので、もう終わったも同然。自分の体験を通して、プラスみんなの発表を見て気になったことなどをメモしておく。

学生から質問の出るプレゼン

 卒論発表のオーディエンスには4種類の人間がいる。評価をつけにくる教授陣・冷やかしに来た研究室の人々・発表が終わって心に余裕のある4年・それなりに真剣に聴いている3年生である。あとは誤差。たぶん。
 あまり望ましくないパターンとして、「ご質問・ご意見等ありますか?」→沈黙→教授陣のひとりがしぶしぶ無難な質問をする、という展開がある。あれはあまりいただけない。
 で、どういうプレゼンがそのパターンに陥っていたかと言うと、聞き手を想定していないもの。これに尽きる。ゼミでプレゼンするぶんには、みな文脈を共有できているから問題ない。しかし、卒論発表では、ぜんぜん違う専門の人が来るのだから、最悪の場合、研究のストーリーも追えなくなってしまう。質問が出にくくなるのも当然だ。
 というか、卒論プレゼンで最も生産性の高いところは質疑応答にあると思うので、そこを「〜とはどういう意味ですか?」(単なる定義について訊く)みたいな質問に時間を割いてしまうのは勿体無いなーと思う。
 教授陣からではなく、4年や院生から(自然に=サクラではなく)質問の出るプレゼンというのは、伝えるポイントがしっかりしていて、見ていても聴いていても分かりやすいものにデザインされているように感じた。
 そういう意味では、専門から最も遠い層からも質問を引き出せるか、というのは、それが良いプレゼンかどうかの指標になるかもね。

構成とか

 「……と題しまして、私……が発表させていただきます」は一度言ってみたかったので、今回はわざと言ってみたが、やはり時間の無駄だと思う。プロローグみたいに、背景から入って、途中でタイトル入れるのってありかな?「背景→目的→タイトル」は構成としてありな気がする。
 特に、タイトルが複雑な場合は、タイトルだけを聞いても、それぞれのキーワードの関係性がすぐには理解できない。そういう場合は試してみる価値がありそう。そもそもタイトルを簡潔にするのが根本的な解決策ではあるけど。

書き言葉と話し言葉

 書き言葉と話し言葉を比べると、話し言葉よりのほうが分かりやすいと言われている。どっちよりでプレゼンするかっていうのは頭のモードの問題で、英語で喋るときと日本語で喋るときが別人格になる感じと近い。
 だから、節々の言葉を話し言葉よりにしても、全体の分かりやすさはそれほど変わらないように思った。ただ、どうしても書き言葉に引きづられて、「ぱっと聞いただけでは把握できない言葉」が混じってくることはあるので、NHKみたいに「試案、試みの案」*1のような感じで、説明を入れるのがよいっぽい。

みんなの研究がすごく面白そう

 ……に見えるのです。僕には。となりの芝生が青いというか、むしろ真っ青な感じってそれは良いイメージではないな*2。土砂移動のメカニズムも調べてみたいし、植物群落のつくりも気になるし、農業機械もいじってみたい。
 別に「学際分野が」とか「広い視点で」とかそういうことではなく、「やってみたい」というだけ。あまり周りからは共感得られないのだけど。学部に入ったときは、けっこうみんな気になることが近かったが、専門が分化していくにつれて、興味の向かう先が遠ざかったようだ。
 あと、4年生のなかにも、専門から遠い分野に対する排他性?というのか、そういったものが芽生えつつあるように思う。例えば、農村計画をやってる人と数値計算をやっている人の間には、なにか越えられない意識の差みたいのがある。あれはなんなのだろう。「帰属意識」か?あまり有益なものとも思えない。

 

*1:これは誤読防止かと思うけど、聴衆が分かるかどうかグレーゾーンの専門用語は、口頭で説明したほうがいいみたい

*2:もしかすると、客観的に見ても「となりの芝生は青い」のかもしれない!