チェンジ・リーダーの条件

「チェンジ・リーダーの条件」(P・F・ドラッカー)読了。
マネジメントとは、現代社会の信念の具現である。

目次
Part1 マネジメントとは何か
 1章 マネジメントは理解されていない
 2章 社会的機能および一般教養としてのマネジメント
Part2 マネジメントの課題
 1章 マネジメントの役割とは何か
 2章 われわれの事業は何か
 3章 事業を定義する
 4章 NPOは企業に何を教えるか
Part3 マネジメントの責任
 1章 企業の所有者が変わった
 2章 いかにして社会的責任を果たすか
Part4 マネジメントの基礎知識
 1章 マネジメントの常識が変わった
 2章 「道具としての情報」を使いこなす
 3章 目標と自己管理によるマネジメント
 4章 人事の原則
 5章 同族企業のマネジメント
Part5 企業家精神のマネジメント
 1章 予測できないことを起こす
 2章 既存の企業がイノベーションに成功する条件
 3章 ベンチャーのマネジメント
 4章 起業家がとるべき戦略

 はじめて読むドラッカーシリーズの2冊目。修士課程が終わるまでにはシリーズぜんぶ読んでおきたいな、と思っている。先週ついうっかりこの本を買ってしまったのは、カバー折り返しの、このコメントに衝撃を受けたからだ。

「変化はコントロールできない。できるのは、その先頭に立つことだけである」

 チェンジ・リーダーというのは、「変化を求める者」という意味ではない。もちろん、「変化を求める」ことは必要ではあるが、それだけでは十分ではない。
 「変化」は求めなくても常に起こっている。その変化をチャンスとして捉えて、「意味のあるもの」とできる者こそが、チェンジ・リーダーであるという。

マネジメントは信念である

 本書は、はじめて読むドラッカーマネジメント編である。ドラッカーと言えばマネジメント、マネジメントと言えばドラッカーである。
 はっきり言って、僕はマネジメントは好きではない。これはマネジメントそのものが嫌いなのではなく、性格上の問題として、他者を管理*1するのがおっくうなのである。しかし、なにかを為そうとするとき、マネジメントが必要なことは直感的にも、あるいは学部時代の経験からですら分かる。
 小さな例だが、サークルの運営や、研究室でさえも、マネジメントがうまくいっているか否かは、その成果を左右しているようである。それらが「マネジメント」という言葉で語られることは稀だが、その言葉を当てはめ、よくよく考えてみると、非常にしっくりくる。
 マネジメントがこれから先の人生でさらに重要になることは、もうほとんど直感的にわかる。ドラッカーはマネジメントを「信念の具現」であるとすらいう。

マネジメントとは、現代社会の信念の具現である。それは、資源を組織化することによって、人類の生活を向上させることができるという信念である。経済発展が、人類福祉の向上と社会正義の実現の強力な原動力になるとの信念である。

マネジメントと倫理との狭間

 もうひとつ。最近気になっているテーマを。

すなわち、マネジメントたるものは、地域社会において積極的かつ建設的な役割を果たす倫理的な責任があるとの説である。しかし、この種の活動は強制すべきものではない。
(中略)
仕事の外にあるもの、マネジメントに関わる責任から外れることである。

 ドラッカーは、地域社会への関わりを「望ましいこと」としつつも、それを倫理的に強制すべきものではないとする。一方で、そういった地域の活動に関わっている人は、自らの倫理観で動いていることが多い。その一定数は倫理的な理由から活動を半強制してくる。加えて、地域社会の問題を考える人は、「倫理」という装置に頼りたがる。
 地域社会の問題は、「一市民としての資格における個人の貢献の問題」であるという。倫理という観点から強制すべきではないと思うが、CSR*2などとは対立する考えなのだろうか?よくわからない.
 ドラッカーはむしろ、倫理に頼るのではなく、ひとつのシンプルな責任を果たすべきだという。すなわち、「知りながら害をなすな」これである。マネジメントを行う者は、プロフェッショナルだからである。

関連:プロフェッショナルの条件 - けれっぷ彗星
 

*1:マネジメントは管理ではないのだけど

*2:企業の社会的責任、というやつ。地域社会への貢献などを掲げているところもあるようだけど……