「生態系サービス」の概念ができた理由

「生態系サービス」で検索して来られる方が多いので、自分の知識としてまとめておくためにも、エントリにしておくことにする。

生態系サービスとはなにか?

 これは別に難しくない。一言で言えば、人間が、生態系から得ている利益のこと。具体的には、森から切り出した木や、少し汚れた水を流してもきれいになること、植物が酸素を供給すること、など。wikipedia:生態系サービスによれば、その性質から5つに分けられるらしい↓

(供給)食品や水といったものの生産・提供
(調整)気候などの制御・調節
(文化)レクリエーションなど精神的・文化的利益
(基盤)栄養循環や光合成による酸素の供給
保全)多様性を維持し、不慮の出来事から環境を保全すること

 20種類くらいに分けた表も目にしたことがあるけど、こういった分類が重要なわけではない。「生態系サービス」という概念を与えることで、「なぜ生態系を守らなければならないのですか?」という質問に筋の通った回答を与えられることが重要なのである。
 また、「生態系サービス」は、色々な場面で使える便利なフレーズということにもなる。「この里山の持つ生態系サービス」でもいいし、「開発で失われる生態系サービス」みたいに。

なぜこんな概念ができたのか?

 この説明だけだと、イマイチありがたみがないというか、「意味は分かった。それで?」ということになってしまう。
 というわけで、なぜこんな概念ができたのかを考えてみる。生態系保全を行う上で、最も大きなハードルは、「別に生態系とか大切じゃないでしょ」という人の説得にある。
 定性的に考えれば、生態系を保全することは必要だが、社会の問題はそれだけではない。資源は有限だから、生態系保全にかけたぶんのコストは、他の問題の解決には回せない。
 もちろん、費用対効果だけではないところも明らかに存在する。しかし、「生態系の価値」が適切に評価されなければ、他の社会問題のように、優先順位をつけて取り組むことはできないし、「別に生態系とか大切じゃないでしょ」という人を説得できない。
 これまでの自然保護では、「自然は大切」というようなステレオタイピックな倫理観でしか説得がなされてこなかった。これでは実際的に問題に取り組む「べき」というには不十分である。
 今年開催されるCOP10のテーマも、「生態系を経済的に評価する枠組みをつくる」ということで、この辺がとても意識されている。生態系サービスという概念がつくられたのは、生態系の価値を評価し、それを社会の問題として組み込むことにある。

分かるけど腑に落ちない……

 生態系サービスという概念は分かるが、それを経済的に評価するのはしっくりこない。腑に落ちない部分を整理してみる。

1.生態系サービスを経済的に評価することは可能なのか?

 森林の土砂流出防止機能、30兆円!などと言われても、どうも信用しづらい。森林をはげ山にして、ぜんぶ砂防堰堤で土砂流出を防いだら30兆円かかる、ということなのだろう。
 これは直感的な理解からはあまりにも遠い。しかし、これは逆に言えば、これまで自然資源を、あるいは生態系サービスをフリーで利用してきたということに他ならない。これまでタダだったから、これからもずっとタダであるはず、という思い込みは危険だ。

2.生態系の価値って経済だけじゃ測れなくね?

 以前も書いたような気がするが、大切なことは何度でも書いておこう。
 生態系の価値は、経済だけでは測れない。それは事実である。生態系の景観としての価値をトラベルコスト法で測ったとして、それは地域のコミュニティそのものへの影響を無視しているし、環境の大規模な変化を防ぐ機能なんて、技術として人間は持ち合わせていない。
 そうであっても、経済的評価は必要である。「測れない」ことと、「測らない」ことは根本的に異なる。現状の社会システムにおいて、生態系を保全するためには、倫理やら思想やらではなく、経済ベースで考えるのが有効なのである。