4年間の終わり

 卒業式だけを残し、追いコンのラッシュが終わった。
 「追いコン」というのは、「追い出しコンパ」の略なのだと思うが、その実、ただの飲み会である。というわけで、この時期になると、色々なところから追い出されて、帰属意識から解放されることとなった。
 サークルの追いコンでは、新しく1年生と知り合いになるけど、もう会う機会がないし、研究室の追いコンでは、進路に関する情報が間違って伝わっていることに気づく。歴史は繰り返すようだ。
 ところで、「母校に愛着はあるか?」という話になった。申し訳ないが、大学にはない、と答えることにした。
 6年間過ごした高校(中高一貫校だから)には、それなりに愛着があるのだが、大学にはない。どうしてだろうか?あと2年大学に残れば、愛着も湧いただろうか?
 頭のなかで、てきとーにシミュレーションしてみて、たぶん違うだろうな、という結論に達した。おそらく、不自由さが少し足りなかったのだろう。
 やっぱり大学という空間は、高校という空間に比べて自由だったから、ひとつの場所に留まったりはしなかった。べつに、自由にある場所に留まっても良いのかもしれないが、僕はそういう選択をしないようにしてきた。
 それが自分のためになると信じてきたし、やり直しても同じことになると思う。ただ、自由さを選んだら失うものもあったのかな、と思って。
 あ、本来的には「選べる」状態にあるのが、「自由」ということなのか。自由だから教室から出てみる、っていうのは、まだ自由ではない証拠なのだろうな。