λに歯がない

λに歯がない」(森博嗣)読了。
「自分」が不連続なのって、直感的に理解できるの?

λに歯がない λ HAS NO TEETH (講談社文庫)

λに歯がない λ HAS NO TEETH (講談社文庫)

 Gシリーズ5作目。森博嗣にしては珍しく、明確な動機、シンプルなトリックを備えている。今回のメインは、西之園萌絵の「死」に対するプロテクトが外れる。西之園はこう言う。

私も、自殺をしようと思ったことがありましたけれど、そのときの気持ちは、もう今となってはトレースできません。

 これは、僕も最近不思議に思っていることだ。子供のころ、自殺しようと思ったことがあった。そして、その思考を再現できた。しかし、今ではそれができない。なにが自分を変えたのだろうか?
 頭で答えを出そうとすると、死の一方通行性に思いあたる。生きていれば死ぬことができるが、死んでしまったら生き返れないだろう、というやつだ。こういう、取り返しがつくか否かで判断をする行動指針はわりと採用しているが、どうも「自殺」に関してはしっくりこない。感覚的にそうでない、と思う。エピソードが思考を決定する、という神話に頼れば、僕自身、人生のなかで友人の「死」を経験してきたからとも言えるが、やはり、これも納得しがたい。
 今はそう思わない、ということではなく、自分がしたはずの思考を再現できないのである。本当に不思議だ。でもこれは、過去の自分と現在の自分が連続しているという過程に立っているからであって、そうでないことに気づけば、あまり不思議ではない、はずなのだけれど、やっぱり不思議である。
 ……ストーリーの話もしよう。真賀田四季の目的も、少しずつ見え始めてきた。「死んだ人間を再び生かす」などと言えば、あれしかないだろう。それでも、まだわからないことのほうがほとんどだ。「人間のコンテンツ」を「記号として」再現することと一連の事件とはどういう関係があるのか。うーん、さっぱりわからない。

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