カントー橋完成

 ベトナムカントー橋が完成したらしい。崩落事故はあんなに話題になったのに、完成してもほとんど話題に上らないというのも、少しさみしい。
越のメコン架橋が完成 07年に崩落死亡事故 - 47News 2010/04/24 16:33
 2007年の橋桁崩落事故が話題になったのは、日本人の「日本の技術は高い」という意識を覆すような事故だったからだと思う。カントー橋建設を担当したのは、大成建設と鹿島、新日本製鉄の共同事業体。もちろん、事故が1件起こっただけで、技術力のなさを指摘できることにはならないが、意識の問題として、「日本の技術、大丈夫なの?」という反応で見る人が多かったのだろう。結局、ベトナムの公式見解としては、「予測できない事故だった」ということになっているようだが、実際のところはよくわからない。
 ベトナムの視点から見ると、南部メコンデルタっていうのは車では行けない場所だった。メコン河は大きく分けて、北のティエン川と南のハウ川に分かれていて、例えば、ホーチミンからカントーまで行こうと思ったら、両方の川を越えなければならない。これまで、ティエン川には橋が架かっている場所があるが、ハウ川には皆無だった。だから、メコンデルタ南部に到達するには、フェリーを使わなければならなかった。この問題が解決されたことに意味は大きい。メコンデルタ南部は一大穀倉地域だから、ここの物流が効率化されれば、経済的な効果は極めて大きいだろう。
 ひとつだけ、たぶん誰も気にしていないだろうことを気にしておきたい。メコンデルタ南部の交通というのは、船運で成立している、と言ってもよい。フランス植民地時代から緻密につくられてきた運河網ネットワークがデルタ内に張り巡らされ、地域の社会と結びついている。この運河網ネットワークは、ある意味、大きな資源である。それは農業用に利用されているというだけでなく、文化・社会的な側面から、観光資源としての側面から、この地域独自のものである。
 もしかすると、カントー橋の完成により車社会の展開が急速に進展し、それらが失われる、運河社会としての景観が激変する、ということが起こるのではないか?そういう危機感がわずかにある。豊かな社会からの視点だ、という反論があるのかもしれないが、豊かになった後のことを考えずして、なにが社会基盤か、と少し強気に出てみる。