創るセンス 工作の思考
「創るセンス 工作の思考」(森博嗣)読了。
工作ほど僕から遠いものもないのだけれど。
- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2010/02/17
- メディア: 新書
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目次
1章 工作少年の時代
2章 最近感じる若者の技術離れ
3章 技術者に要求されるセンス
4章 もの作りのセンスを育てるには
5章 創作のセンスが産み出す価値
森博嗣の工作論。著者のブログ日記をずっと読んできた身としては、馴染み深い思考が多い。それでも、こうしてひとつのテーマでまとめて読むと、ひとつの思考のセットになる感じがする(錯覚です)。
僕は、工作少年ではないし、なかった。というか、著者も書いているとおり、僕らの世代はほとんど工作をしない。さらに言えば、その少しあとの世代であるプログラミングをごりごりやってしまう世代とも少しずれる。小さい頃から、テレビゲームがかなり完成度の高い状態で提示されていた世代にとって、工作?なにそれおいしいの?というレベルである。
まあ、世代の話をしても仕方がない気がするので、自分自身のことを考えてみる。工作少年でなければなんだったかというと、わりと「観察者」であったかな、という気がする。ファーブルみたいな感じが近い。生き物をひたすら観察するのが好きだった。
しかし、これは「創る」という行為には結びつかなかった。実のところ、観察日記みたいなものをつけていたことはあるので、今から振り返れば、「創作」の一種なのかもしれないが、かたちのあるモノをつくろう、という欲求はかなり希薄だったと言える。
根底を流れている感覚として、「ほとんどすべてのモノはたぶんすでに存在している」というのがあって(もちろんこれはまったく間違っている)、モノはもういらないよね、という気分なのである。
「創る」という視点で言うと、モノはすでにたくさんあるけど、置き方とか組み合わせとかテキトーじゃね?(「適当」ではない)みたいな意識が強い。土木分野でも、「都市計画」とか「景観」とか、そういう分野が人気な理由はこの辺にあるかと思う。ゼロからつくる、というよりは、編集する、既存のモノの組み合わせを考えるといったことに、「創る」の可能性を見出しているのかもしれない。
ただ、その辺のことを深く考えていくと、やっぱり「ゼロからつくられたモノ」も、思っていたほど簡単ではない、と気づき始める。良いモノが必要だ、という認識が芽生える。「誤解」が解け始めたと言ってもいい。
そして、モノの存在を支えているのはなにか、ということをちょっと考えると、ああ、技術なのか、工作なのか、ということに思いあたる。そういう意味で、「工作少年の世代」の少年たちが好奇心ベースで工作と出会ったのとは異なり、僕はなにか遠回りをして、工作を再発見したという感じなのかもしれない。さて、とりあえずなにかつくってみようか。