崩れ
- 作者: 幸田文
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1994/10/05
- メディア: 文庫
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集落のある場所は、「崩れ」のあった場所である。もちろん、表層崩壊ではなく、円弧すべりのような、地中深くから、土の塊が一度に動くような崩壊である。これにより、人間が利用できる空間が生まれる。そして、崩壊地には湧き水もある。
沖積平野も、洪水がたびたび訪れるから、決して安定しているとは言えない。しかし、洪水は土壌に栄養分をもたらすし、なにより水に困ることはない。今でこそ人間はどこにでも住んでいるが、昔から人間が住んでいた土地というのは、決して安定した土地ではない。そういう場所にへばりつくようにして、住んでいる。人間ほど、「安定」が似合わない生物もいないと思うし。
そう考えると、「人」と「崩れ」というのは遠いようで、遠くない。しかし、「崩れ」に注目した文章というのは、そう多くないのではないか。幸田文がなぜ「崩れ」に注目したのか、についての簡潔な答えは存在しないが、この著者のすごいところは、
崩壊は、小さい規模だといわれるものでも、そこで動いたエネルギーは、並々でなく大きいのだし、そんな大きな力の働くところに感動のない筈はない。
こう、言ってしまえるところにあると思う。「感動」で動いているところだ。大きなエネルギーが働いたところに、感動がある。本当に単純なことであるけど、都会で暮らしていると、忘れがちなことでもある。
エネルギーというのは、「見える」ものではない。崩壊地で見えるのは、エネルギーの働いた残滓である。崩壊のエネルギーを見るには、想像力が必要となる。感動というのは、その想像と映像の境目くらいから生まれていて、これもやっぱり、本質的に不安定なものだ。
著者は「感動の伝達役」をつとめたい、と書いていた。なるほど、確かに感動は受け取った。しかし、本当に受け取ったのは、おそらく、感動のトリガーとなり得る想像力であり、この本を読んでから、崩壊地を見に行けば、それはきっと愁いや淋しさの少し混じった感動を覚えられることだろう。