貧しき人々

「貧しき人々」(ドストエフスキー)読了。
余裕、ありますか?

貧しき人々 (光文社古典新訳文庫)

貧しき人々 (光文社古典新訳文庫)

 ドストエフスキーのデビュー作。中年役人マカールと、天涯孤独な娘ワルワーラの往復書簡で綴られる、「貧しき人々」の生きざま。
 「貧しい」というのはお金のことを言っているのだろうか?確かにそれはあるだろう。マカールがワルワーラにお菓子を買い与えるために生活費を削らなくてはならないのは、明らかに「貧しい」。ただ、そういったお金だけの「貧しさ」ではない。

貧しい人々というのは、わがままなものです。(中略)貧乏人ってものは、こせこせしていて、選り好みが激しいんです。世間を見る目も一風変わっていて、通りがかりの誰のことでもじろりと横目で睨むし、不安げな視線をそこらじゅうに投げかけては、何か自分のことを言われていやしないかと一言一句聞き漏らしません

と書いているが、貧しい人間がこのような精神構造になるというよりはむしろ、こういう考え方をする人間のことを「貧しき人々」と言うのだろう。一方で、貧しい環境が、「貧しき人々」をつくりやすいということは確実にある。金銭的な、物質的な余裕の無さは明らかに精神的余裕のなさに直結するということは、誰もが気づくことである。
 ただ、それでも、人間の能力を過小評価したくないとは思っていて、人間である以上、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にできるはずだ、という確信を捨てたくない。
 でも、そういう確信も、物質的な余裕の上にしか成立しないのだとしたら、「自分は恵まれているんだ」という感謝と後ろめたさの入り交じった感覚で流すしかない。そういう意味で、「君は恵まれているんだ」と告げることは、君は恵まれているから「貧しき人々」にならなかったんだ、と主張しているのと同義なので、相手の人間としての尊厳を侮辱するような発言だと思うのである。……あ、こういうふうに考えちゃうのが「貧しき人々」なのかも?っていうか地下室の手記っぽい?