動的平衡

動的平衡」(福岡伸一)読了。
「生命とはなにか?」「動的平衡です」

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

 小学生のころ、図書館で出会った「火山は生きている (科学のアルバム)」は今でも記憶に残っている。迫力のある火山の写真はもちろん、その「火山は生きている」というメッセージに強く惹かれた。「生きているもの」=「生物」ということに疑問を持ち始めたのはこのころかもしれない。
 今は、もう少し考えが進んでいる(?)。生命のシステムは不思議なこと極まりないが、本質的にはもっと高い階層のシステム、例えば「山〜地層構造」とか「川〜流域」、「生態系」といったものと近いのではないか、というように考えている。
 共通点は、動的平衡にあるとも言ってもいいけど、漢字4文字にサマライズしなさいっていうお題じゃないから、もう少し言葉を尽くしたい。

その生命現象においては、機械とは違って、全体は部分の総和以上の何ものかである。1+1は2ではなく、2プラスα。そのプラスαは何か。それはどこから来るのか。私は「時間」に由来すると考える。

と言いつつ引用。強調は僕。
 これは著者が「生命」と「機械」の違いについて言及している箇所だが、そこに注目すると、自然界の大きなシステムと、生命との類似性も見えてくる。
 時間、履歴、タイミング、そういったものがモノにモノ以上の固有性を与えている。同じ材質の地盤を力学的に同じように扱えないのは、圧密が時間によるからだ。河川が現在の流路を流れているのは、これまでの洪水の履歴が影響している。外来種が問題となるのは、その土地・気候に適応して分化・進化してきた種が生態系内でバランスを構築してきたからだ。「時間」というキーワードで眺めると、自然界のシステムが「生きている」というふうに言えるかもしれない。
 世界を眺め回したときに、ぜんぜん違う場所に同じ概念で説明できる事象を見つけると、とても感動する。「動的平衡」が偏在しているように、他のキーワードもまた、偏在している。自然界のいたるところに黄金比を見出すことができるらしいし、世界中には普遍的な概念がそこかしこに存在しているということだ。
 壁の窪みを脳が勝手に人の顔だと認識するように、自然界の癖をひとつの概念で捉えたがるのは人間の性かもしれない。それは悪いことではないし、思考の補助線として活用するぶんには非常に有効だと思う。ただ、キーワードを持ち出しただけでは、説明したことになっていない、ということには注意したいと思う*1
 でも、逆に言うと、「生命とは何か?」という問いに対して、「動的平衡です」と一言で答えて、そこに十分な説得力と文脈性を持たせられるなら、そういう人のほうがすごいかも。これもやっぱり、時間の関数だね。

*1:いや、別にこの本がそうなりがちだ、と言っているわけじゃなくて、単語を持ち出しただけでなにかを説明した気になることが多いので、例えば「動的平衡」をそういうふうに使ったらまずいかな、と考えただけです。念のため。