水を沸かして飲む

 留学生から聞いた話だ。ペルーのある村では、衛生状態が非常に悪く、人々の寿命も長くなかった。
 衛生局はその改善策の一環として、「水を沸かして飲む」ことを普及させようとしたらしい。しかし、結論から言ってしまえば、これは普及しなかった。なぜか?
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 その村において、水は沸かして飲むものではなかったからだ。そこでは「熱いもの」と「冷たいもの」は明確に区別される。この属性は実際に温度が高いか否かにはよらない。言ってしまえば、男性名詞と女性名詞のようなものだろうか?世の中のモノは「熱いもの」と「冷たいもの」の2つに分けられる。そして、生水は「とても冷たいもの」であり、これを沸かして飲むのは病人に限られる。病人は「とても冷たいもの」や「とても熱いもの」は口にしてはいけないらしい。
 だから、水を沸かして飲んでいると、「お前病人かよ(笑)」ということになってしまうらしい。事実、病人の間では「水を沸かして飲む」ことは広まったらしい。マジョリティは衛生と病気の関係を理解することはなく、この計画は失敗に終わったのだとか。
 2つの考察パターンがある。ひとつは、どうすれば「水を沸かして飲む」を広められただろうか?という戦略的な視点。ちょっとよく分からないが、ひたむきに科学的な説明を説くだけの正攻法は遠回りだと思う。「流行」を生み出すお仕事をしている人は、得意なところだろう。どうすれば広められるか、という戦略。
 もうひとつは普遍的にみる視点だ。この村のマジョリティを「未開だ」と思うだろうか?しかし例えば、日本の人々の「リスク」に考え方を見る限り、あまり笑えないようにも思う。あ、構造主義ってこういう話なのかな?