メガホリズム

「メガホリズム」(佐藤眞一ほか)読了。
社保庁年金問題JR西日本福知山線事故、雪印の牛肉偽装事件。

メガホリズム 組織に巣食う原罪

メガホリズム 組織に巣食う原罪

  • 作者: 佐藤眞一,本多ハワード素子
  • 出版社/メーカー: CCCメディアハウス
  • 発売日: 2010/03/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 社保庁年金問題JR西日本福知山線事故、雪印の牛肉偽装事件。こういった問題はなぜ起こったのか?著者は「メガホリズム」というキーワードをもって、こういった問題を考える。
 メガホリズムとはなにか。組織というのは人が社会と関わるために有効なツールのひとつだが、人がうまく関わりきれなかったときに、おかしなふるまいをすることになる。著者の言葉を借りれば、「権益を求めて巨大化する企業に飲み込まれ、なにがまっとうかわからなくなる」「組織のルールがおかしいことに気づかない」ということになる。このときの組織内部の人間の心の有様が、メガホリズムと定義される。
 福知山線の例で言えば、前の電車の遅れを取り戻すことを「回復運転」と呼んでいたらしい。もちろんこれは過剰な速度で走行することであり、安全性に問題がある。しかし、事故発生当時、この「回復運転」のできる運転手が「良い運転手」だとされていたらしい。
 これは外から見れば異常なことだが、さて、あなたが内部の人間だったらどうふるまうだろうか?ここでの同調圧力は「空気を読む」ということと同一視されがちだが、どうもそれは違うように思う。「空気を読む」人間が重要だと考えるのは空気、すなわち場の場の雰囲気であり、社会的な必要性などの理屈付けは存在しない。
 しかし、メガホリズムを支えているのは企業の論理である。つまり、同調圧力は「お客様のため」「利益のため」「社会をうまく回していくため」という理屈の後押しを受ける。これらの理屈が本来的な意味で使われていれば良いのであるが、多くは形骸化して、組織そのものの理屈になっている。
 僕自身は「空気を読む」という考え方は好きではない。しかし、「空気を読む」ことそのものが悪いか、というとたぶんそうではない。「メガホリズム」という言葉が指摘するのは、「空気を読む」という人間の性質と、企業の論理とが悪いかたちで結びつくことがある、ということだ。
 「空気を読む」ことを批判するのは悪くない気分であるが、社会的な問題の本質はそこにはない。問題は、「空気を読む」ことと企業の論理の不自然な結合を放置しないことなのである。