ηなのに夢のよう
「ηなのに夢のよう」(森博嗣)読了。
Gシリーズのターニングポイント、らしい。
ηなのに夢のよう DREAMILY IN SPITE OF η (講談社文庫)
- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/08/12
- メディア: 文庫
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連続首吊り自殺(殺人)に共通するメッセージ「ηなのに夢のよう」。どうやらこの事件も真賀田四季が関連している(と思われる)一連の事件のひとつであるようだ。
今回はもういよいよトリックだの動機だの、そもそも自殺か他殺かさえ、解明されない。以降もこのスタイルが続くと予想される。
そう言えば、「ηなのに夢のよう」とはどういう意味なのか?Gシリーズのメッセージ(タイトル)は必ずしも意味がクリアになっていないけれど、今作ではその傾向が顕著だ。
いやまて、"η"って、人が首を吊っているかたちではないか?斜字体だと分かりづらいが、左側の棒が木かなにかで、そこから人が吊り下げられている構図。
そういう視点で見ると、λは人のかたちだし*1、φなんかも宙吊り死体に近いかもしれない。でも、「τになるまで待って」は「ラジオドラマが始まる時間(τ)になるまで待って死んでね」みたいな意味に取れるし、「θは関係です」と言っていたから*2、違うのかも。
あと、そろそろ赤柳初朗が誰なのかを考えても良い頃だろう。「船でご一緒した」と「全然、明るいし」から考えると、森川くんしかいないような気がする。練無説もあったけど、彼は別に暗くないしなあ。だいたい、レタス・フライで、練無と叔母様は会っているはずだし。紫子さんは、赤柳初朗+青柳ういろう=紫、みたいな言葉遊びはできるけど、イマイチ証拠的要素がない。
あと、祖父江さんの部下みたいな人の可能性はあるだろうか。「船」を実際の船と捉えれば、どうかな?あの人、船に乗ったっけ?あと、大笛なんとかさんとか?
と、まあ今回もグダグダ考えました。Gシリーズの全貌は見えないまま、次からはXシリーズに突入する模様。