長崎に行ってきた

 就活・研究さようなら。というわけで……はないけど、長崎に行ってきた。
 なんと言っても今回の目的は、軍艦島!!知っている人たちの間では有名な廃墟である。

明治23年から三菱の経営によって主として八幡製鉄所に向け製鉄用原料炭を供給し、日本の近代化を支えてきた海底炭坑の島である。
(中略)
炭坑の開発と並んで従業員のための住宅の建設が盛んに行われ、1916年(大正5年)以降高層鉄筋アパートが、次々に建設された。
最盛期5,000人を超える人口を擁した高層鉄筋アパートが島内に林立して、さながら海の要塞の観を呈し、軍艦の「土佐」に似ているところから「軍艦島」として知られるようになった。
やまさ海運

……が、日頃の行いが悪さの極みであるせいか、天候不順のため全便運休。泣く泣くふつうに長崎を楽しんできた。


 半分になってしまった鳥居。そうか、この形状でも自立するのか、とか、そんな場違いな感想を抱いて眺める。しかし、そうして遺しておきながらも、もとの鳥居があったはずの空間を電線がクロスしているのは、いかにも日本的で、哀しさのなかにもある種の強さを感じる。


 鳥居からしばらく歩くと、山王神社の境内に辿りつく。そこにそびえるのは二本の被爆クスノキ。3割の体を失った今も延命され続け、新緑を保っている。神主さん(?)に話を聞くと、年間1000万円もの経費がかかっているとか。そのうち1/4が神社負担、残りが県と国らしい。


 神社のあとは、天主堂。まさに節操のない日本人である。浦上天主堂はキリスト禁制解禁後に造られた聖堂である。長崎といえば大浦天主堂が有名だが、グラバー園の辺りはどうもバブル的観光地化していて好かない。選べと言われたら間違いなく浦上天主堂である。
 教会をいくつか巡ったが、ひとつとして同じ教会はない。大浦天主堂は観光地化の影響を強く受けているし、保育園を併設する中町教会はさながら公民館のようである。そして、浦上天主堂は弾圧と原爆の歴史を抱える荘厳な雰囲気であった。

 長崎の人はみな話したがりである。べっこう資料館のおばちゃんも、山王神社の神主さんも、平和公園のボランティアさんも、古い布屋の店員さんも、みな話すのが好きなようだ。
 といってそれは、押し付けがましいかたちのものではない。話したくてうずうずしているが、それはあくまでもこちらが聞く体勢になってからのこと。明らかに日本のほかの地域にはないことだ。
 そうした「センスの良さ」のようなものは、街並みからも感じられて、地方にありがちな、失敗して残念な景観を見せる観光地はまったくなかった。それでいて、教会はあるし、神社、洋館、中華街と、まさに「ちゃんぽん」。歴史がある、というのは、こういうことなのかな、などと思った。長崎は不思議な街である。

そのほか行ってよかったところ

・江崎べっこう店:資料館もある。べっこうでできたノコギリクワガタとかすごい。
眼鏡橋:わりとマニアック。肥後の石工ではなく、中国人が造ったらしい。
・グラバー邸:まあ、なんだかんだ言っても定番。恩田陸の「黄昏の百合の骨」の舞台だとか。未読だけど。
・新町中華街:ちゃんぽん、皿うどん(太麺)、皿うどん(細麺)をひたすら食べる。トルコライス?なにそれおいしいの?はい、トルコライスおいしいです。