砂漠

「砂漠」(伊坂幸太郎)読了。
願わくば、僕も「砂漠」を書ける強さを持ちたい。

砂漠 (新潮文庫)

砂漠 (新潮文庫)

 びっくりした。思考力・洞察力がびっくりするくらい低い。アメリカと中東について考えておきながら、その程度かと思うような意見だったり、超能力に対するスタンスであったり、どうしてそのレベルなのか、と思わせる箇所が多い。で、気づいた。これは、誰の方を向いて書いているのかってことだ。

ちょっと、なにをしんとしているんですか?だいたいね、世界のあちこちで戦争が起きてるっていうのにね、俺たちはなにやってるんですか?

これは、頭は悪いが熱意だけは人一倍の「西嶋」が冒頭、新歓の最中に空気を読まずに発する言葉である。彼の、無知ではあるが、媚びず、諂わず、空気を読まない言動は物語の最後まで続く。
 社会のモノゴトをしっかり見据える層というのはどのような社会でも一定数いて、そういった人々は仲間内でコミュニケーションをとる。そのスタンスは、関心の無い人間を見下す姿勢が大勢を占める。昔から、それに問題があると考える人もいて、例えばニーチェは、超人は孤高であるのではなく、あえて大衆の間に出ていくべき、と考えたブッダなんかもそうだったと思う。

ブッダ 1 (潮漫画文庫)

ブッダ 1 (潮漫画文庫)

 最近だと、池上彰もそういうスタンスであるようだ。彼は、社会・政治・国際問題などに無関心なお茶の間マス層に、どうやったら関心を持たせることができるのか、どうやったら確かな知識を伝達することができるのか、そういったことを極限まで考え、「やっぱり、テレビしかない。バラエティしかない」という結論に辿り着いたに違いない。
 伊坂幸太郎も、そのように考えたということだ。伊坂幸太郎は大学生を中心とする若年層に非常に人気がある。社会のモノゴトと距離を取ってしまい、無関心になりがちな層に(つまり、本作の主人公「北村」のような若者に)、どうやったら自分の危機感を伝えることができるか?相手の目線に立って、社会を見てみる。それを小説にしてみる。それは多くの犠牲を払うだろう。既存の読者を手放すかもしれない。文学的なフィールドから遠ざかってしまうかもしれない。それでも、ある層の読者に伝えなければならない、社会に対する危機感があった。それを、自らの立ち位置から、真摯に書いた物語なのである。願わくば、僕も「砂漠」を書ける強さを持ちたい。