海の仙人

「海の仙人」(絲山秋子)読了。
ファンタジーがやって来たのは春の終わりだった。

海の仙人 (新潮文庫)

海の仙人 (新潮文庫)

 ファンタジーがやって来たのは春の終わりだった。 この一文で始まる本作は、寂しさと孤独を描いた物語である。なお、ファンタジーというのは神様であり、おっさんであり、作中でなにか特別なことをするわけではない。ファンタジーの訪れにともない始まる「ファンタジー」は、しかし、人間の孤独を現実的に描く。

「いや」
片桐が言った。
「孤独ってぇのがそもそも、心の輪郭なんじゃないか? 外との関係じゃなくて自分のあり方だよ。背負っていかなくちゃいけない最低限の荷物だよ(後略)」

 孤独だ、と感じるときというのは、あくまでも心の輪郭たる「孤独」を再認識している状態である。だから、ひとりぼっちのときに孤独を感じることもあるし、喧騒の中で、人の輪の中で孤独を感じることもある。
 そしてまた、「孤独は最低限の荷物」であるとも言う。すなわち、孤独に流され、他者に甘えるのではなく、孤独を引受けたものだけが、他人と尊重し合える関係を築けるのだな、とも。そういうふうに本作を眺めてみると、確かにすべての登場人物が自らの孤独を引き受けている。あまりにもストイックではある。
 しかし、孤独が心の輪郭であるというなら、孤独に触れなければ、相手の心のかたちは感じ取ることができないのではないか。で、どうやって孤独に触れるかというと、その方法は「甘え」以外にないようにも思う。他者の心の輪郭を確かめるには、想像力でも限界があると感じる。このように考えると、「甘え」というのは相手の孤独を、心の輪郭を確かめるために組み込まれた、半意図的なバグなのかもしれない。