被災地調査

 岩手・宮城の被災地調査に行ってきた。専門は海岸でなく河川なので、津波で直接的な被害を受けた沿岸部を見るというより、河川堤防にどのような被害が出ているか、河道のかたちが被災にどう影響しているか、地形や土地利用が津波の進行にどのように寄与しているか、なんかを見て回ってきた。阿武隈川名取川北上川旧北上川などがメイン。

河川堤防の「表」ではなく、「裏」がダメージを受ける

 河川堤防においては、川が流れている側が表で、人が住む側が裏だ。しかし、今回の津波に関して言えば、津波が向かってきた側が「表」、乗り越えて行った側が「裏」と言える。津波が陸から川へ流れ込んだケース、川から陸へ流れ込んだケース、両方ある。よって、普段の表裏と、津波時の表裏は一致しない。一般的に、構造物は想定外の力には弱い。しかし、堤防のつくりは左右対称であるため、どちらのケースも大きな違いはなかった。
 今回意外だったのは、堤防の「表」はほとんどダメージを受けていないことだ。もちろん、法面の植生は削られ、ざらざらとした面となっていた。しかし、「裏」の被害はたいてい大きい。穴があき、土をごっそりと持っていかれたような形状になっている。

 ふつう、堤防の壊れ方は洗掘・越流・浸透の3タイプであると習う。津波は大きな力を持つにもかかわらず、洗掘はほとんど起きていない。現象としては越流だが、イメージしていた越流とはまったく異なる。すなわち、洪水が起きたとき、越流が発生すると、堤防は土でできているため、すぐに土が削られ、破壊される、というものだった。

 にもかかわらず、10m前後の津波が越流した箇所でも、堤防が破壊されているところはほとんどなかった。津波と洪水は違う、ということだ。おそらく、降雨によって堤防が濡れているか否かの違いだと思う。

盛土が津波を止める

 防潮堤、海岸林や砂丘などが津波を軽減するのは予想していたが、道路や線路が津波の最終防衛ラインとなっていたのは興味深い。道路や線路は土が盛ってあり、周囲より1段高くなっている(盛土)。これが最終的に津波の進行を妨げている例がたくさんあった。

人々の活気は、街によってかなり違う

 これは河川と直接関係がないのだが、被災地の復興を見て率直に感じたことだ。阿武隈川下流ではとてもピリピリしていて、あまり人の話しかけるような雰囲気ではなかった。これに対し、例えば石巻では、瓦礫の山に「頑張ろう石巻!」などと書いた幕があったり、住民もいきいきとしているように感じた。1階が津波で押し流されてるのに2階で美容室再開するとかすごい。

 別にヒアリング調査に行ったわけではないので、まったくの偏見をたくさん含んだ、バリバリの主観であるが、少なくとも、被害規模と住民の雰囲気とは一致しないように思えた。こういうのはなにに由来するのだろうか?地域コミュニティの強さ、とかだろうか?そういう研究もあってしかるべきだろうが、被災地の方々への配慮を考えると難しいだろう。

「破堤」を見る機会に恵まれた

 恵まれた、などと言ってしまうのは不謹慎極まりないが、河川堤防の破壊を直に見る機会は現代においては稀だ。洪水などで堤防が破壊されると、河川の専門家はこぞって視察に向かう。どのようなメカニズムで起きているのか、という実感を得るためである。

 人々の生命・財産を守るには、そうしたメカニズムの理解が必須となる。さらに言えば、堤防がどのような材料でできているかはそれほど明らかではない。堤防は歴史とともに増築されてきたものであり、内部の礫・砂がどれくらいの大きさで、どういう比率になっているのかがわからない。そうかといって、穴を空けて調べれば強度が極端に落ちてしまう。非破壊検査は可能なのだろうか?
 ともあれ、そうした理由で、破堤を見る機会は稀であり、重要である。破堤に限らず、様々な被災状況の把握は、直近でなくとも、後世の災害対策に必ず活きていくものだ。まずは、現象をしっかりと記録し、メカニズムを理解すること。あまりにも地味すぎるが、長い目で見たとき、それが最も有効な対策となる。
このたびの震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。