地域再生の罠

地域再生の罠」(久繁哲之介)読了。
「演出」という方法そのものに飽きている。

地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか? (ちくま新書)

地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか? (ちくま新書)

目次
第1章 大型商業施設への依存が地方を衰退させる
第2章 成功事例の安易な模倣が地方を衰退させる
第3章 間違いだらけの「前提」が地方を衰退させる
第4章 間違いだらけの「地方自治と土建工学」が地方を衰退させる
第5章 「地域再生の罠」を解き明かす
第6章 市民と地域が豊かになる「7つのビジョン」
第7章 食のB級グルメ化・ブランド化をスローフードに進化させる―提言1
第8章 街中の低未利用地に交流を促すスポーツクラブを創る―提言2
第9章 公的支援は交流を促す公益空間に集中する―提言3

 環境問題-農村計画-土木工学あたりのクラスタにいる僕にとって、当然のことながら地域再生は気になる問題の1つである。昔から、地域再生プロジェクトのようなものにはちょくちょく顔を出してきた。あるときは学部の授業の一環で長野へ。あるときはNPOの紹介で静岡へ。あるときは企業のインターンで栃木へ。地域再生とはなにかを、常にではないが短期集中型で考えてきた。
 そういったシチュエーションで僕らに与えられた立ち位置は、こうである。「若者の新しいアイデアで活性化につなげたい」そう、先進的なところはどこもわかっている。本書が言うところの、若者を呼び込むなら、若者の視点に立たなければダメだ、という顧客志向を理解しているということだろう。
 しかし、だ。率直に言って、僕らが良いアイデアを出せたかどうかは、学生皆が疑問に思っている。上記の例どれをとってもである。もちろん、「良い」アイデアはでるし、住民の方々も喜んでくれる。にも関わらず釈然としない。その理由は簡単だ。今の地方都市に、もっと言えば自らのアイデアでなし得るであろう地方に、魅力を感じないからである。
 なぜか。僕らの世代は「意図的につくられたモノ」に魅力を感じにくいからである。つくる側の意図に敏感と言えるかもしれない。そうしたものが見えてくると、途端に冷めてしまう。じゃあ、意図が伝わらないように隠せばいいのか。さりげなく演出すればいいのか。僕は感覚的にであるが、それも違うと思う。「演出」という方法そのものに飽きているのである。
 本書が言うように、僕らは精神的充足を求めている。そして、それはとりわけ能動的・主体的な行動からくるものである。観光化された伝統よりは、みすぼらしくても自然な街並みを見たいと思うし、いかにも「観光」という接客よりも、地元のおばちゃんのような方に会いたい。そういうものへ、いかにアクセスするか、できるか、そういうところがデザインされないといけないのではないか、と思う。
 ついでに言っておくと、学生と住民との関係性、与えられたフレームの大きさが、学生のアイデアを規定している。地域再生を考える学生はあくまでもヨソモノである。地域振興のための短期的な企画・事業を考えるには良いかもしれない。しかし、地域コミュニティを根本から変革して良いのか、というと、そこまでする権利はない、と皆思っている。本質的にはそこに問題があると感じとっても、自らの立ち位置ではそこまで踏み込めない。こういう構造的な話もあるような気がする。