涼宮ハルヒの驚愕

涼宮ハルヒの驚愕」(谷川流)読了。
相変わらずの、ぶれないキョン君。

 出ましたねー。満を持して、というか、満を持しきった、というか、4年近く待った、というハルヒシリーズの最新刊。
 やっぱり、キョンというキャラクタの魅力は、自身の無力さに押しつぶされることなく、自らのやるべきことを見出し、実行に移していける強さなんだな、と思う。自分にとって、なにが大切かがわかっているからこそできること。
 社会の風潮としては、なにが大切かを見出せないんじゃないのか、むしろ見出す必要があるのか、というようなことになってきているなかで、逆にそれを見出した人間は強くあることができる。そういうことかもしれない。
 ただ、そういうことで言うと、もっと絶望的な状況になってもよかったのかな、とも思う。緊迫感のある状況にはなっていたが、絶望的ではない。昔から物語の典型であるが、絶望的な状況に置かれれば、キャラクタの本質がより強く発露する、というスキームである。
 もしかすると、そういうスキームのリアリティがどんどんなくなってるんじゃないか?という気がする。絶望を描くことは、現代の人間にとってあまりリアルでない。だから、そういう書き方をすると響かない。むしろ、得体のしれない不安感。皆たぶん大丈夫だろうな、とは思っているが、少しずつ違和感を感じ始め、それがいつしか大きなうねりとなっているほうが、リアリティがある。それゆえの、「涼宮ハルヒの憂鬱」ということだ。