第四間氷期

「第四間氷期」(安部公房)読了。
時間に対する無力感、それと「怖さ」。

第四間氷期 (新潮文庫)

第四間氷期 (新潮文庫)

 おもしろかった!安部公房は、砂の女→壁→箱男ときて、第四間氷期。「壁」や「箱男」のような文学的・芸術的読みにくさはまったくなくて、ストーリーにグイグイ引き込まれる。SFはこうでなくっちゃ。

ふいに、全身がけだるく、しびれるような感覚におそわれて、私は口ごもった。星をみながら、じっと宇宙の無限を考えたりしていると、ふと涙があふれそうになったりする。あれと同じ感覚である。絶望でもなければ、感覚でもない、いわば思考の有限性と肉体の無力感との、共鳴作用のようなものだった。

 子供のころ「急にタイムスリップしたらどうなるだろう?」と、たまに考えていた。現代のコンフォートな生活は失われてしまうな、そもそも時代によるか。意外と言葉が通じないなんてことも起こるかも。その時代は、自分にとって絶望的なものだろうか?その環境で生きていくことが苦痛になるほどだろうか?人間の時代性は固有なものなんだろうか?怖い。
 もちろん、そういう言葉で考えていたわけではないが、当時の「怖さ」を文字に起こすと、そんな感じ。時間という強すぎる存在に対する無力感。過去も怖いが、未来も怖い。筒井康隆の「幻想の未来」を読んだのは小学生だったか、中学生だったか。あれも怖かった。
 そうして、単に受け身な怖さを越えて、自分が影響を与える怖さを考えるようになった。自分が行動した結果、変わってしまうものがたくさんある。ポジティヴな意味で捉える分にはよいが、必ずしもそうではない。本作のように、自分の生み出した流れが、自分の意図を越え、コントロールの効かないものとなってしまうかもしれない。それは、とても怖いことだ。
 もちろん、なにもしないわけにはいかない。でも、日常の中で、案外怖いことをしているというのは、いつも忘れがち。願わくば、いつも、謙虚な感覚を持ちたい。