秘事/半所有者

「秘事/半所有者」(河野多恵子)読了。
ネタバレあるよ!

秘事・半所有者 (新潮文庫)

秘事・半所有者 (新潮文庫)

 あ、これは、地味すごい。別にストーリーとかなんもオモシロクナイし、あっと驚く大展開もないんだけど、これが人間のどういう部分を掘り下げた結果なのか、というのを考えると、わかる。

 2つの話がセットになっているんだけど、1つはまともな話だ。「秘事」はこういう話。主人公の三村が、自らのせいで交通事故に遭わせてしまった麻子と結婚するんだけど、そのことに対する負い目や責任感から結婚したのではなく、本当に愛しているのだから結婚したのだ、ということを麻子の最期まで言わずに抱え続けながらも、幸せな生活を送る、という話。もうひとつの「半所有者」は一言で言える。ネクロフィリアの話。

 まあ、どっちがまともかって、ふつう「秘事」がまともだと思うだろう。だけど、ちょっと待って。本当にそうだろうか?

 著者が異常性愛を書くのが大好きな作家だということは、ウィキペディアで知った。プライベートなことはほとんど書かれていないのに、

最晩年の谷崎が文京区関口台アパートという高級マンションに住んでいた時、瀬戸内晴美が同じ階にいたので河野が来て、これが谷崎先生の部屋だと教えられてドアに口づけしたら、部屋を間違えていたなどということもあった。

ウィキペディアにあったのには大爆笑した。谷崎とは、もちろん谷崎潤一郎のことである。

 そういう、異常性について考え続けた人物にとって、「秘事」はあまりにフツーではないか。そこまで考えて、やっと思い至る。果たして三村の思考は正常であっただろうか?

 三村は戦後の商社に務めていた。妻は社交的だし、子どもも立派に育っている。何も欠けるところのない順調な夫婦。しかし、あの事件のことだけは、いつも病的に頭の中にある。

 冒頭では「自らのせい」などと書いたが、やや誇張だ。デートの待ち合わせに遅れてきた麻子が道に飛び出し、車に跳ねられたにすぎない。

 そのことを何度も反芻し、自分は責任感から結婚したのではない、本当に愛しているからだ、と自分に言い続けるのだ。そしてそのことを絶対に麻子には言わない。40年も、50年も、彼女が息を引き取っても。

 これが異常でなくてなんなのだろうか。むしろ、表面的にわかりやすいマゾヒズムネクロフィリアに転化してしまうほうが、よっぽど正常かもしれない。

そうではなく、極めて正常な人間としてありながら(演じながら、ではない)、病的に考え続けることこそ、異常性の本質をついているのではないか。

 そう考えると、三村という人間の正常さが、とても恐ろしいものに思えてきて、逆に、そこまで異常でなければ愛し続けられないのではないか、という怖さに包まれてしまうのである。