金沢行ってきた

 旅行ではないような気もするけど、金沢行ってきた。兼六園のライトアップシーズンなんだけど、都合上、昼間に行かざるをえない感じだった。残念。ちなみに、金沢城の公園はわりとマニア向け。石垣にすごく興味がある人ならいいけど。



 なんだこれ!無駄に豪華。ありかなしかで言えば、ありかな。駅周りはとてもきれいに造られていて、新しく造られたものであることがわかる。人もまばらである。どうやら、繁華街は金沢駅から少し離れたところにあるようだ。繁華街は城下町由来(国道沿い)で、金沢駅前はJRが通ってから発展したのだろう。



 まず、近江町商店街へ向かう。駅から最短ルートのむさし口から入ると、いきなり海鮮丼の店があり、そこで昼食に。ネタも旨いがスシメシもかなり旨い。ちょうど僕らまでで食材がきれてしまったらしいが、足りないのはネタではなく、スシメシだということだ。AMラジオのパーソナリティのような板前さんと奥さん(?)が気軽に話しかけてくれる。1時間待った甲斐もあるというものだ。



 はじめての兼六園。なんというか、日本庭園のモデルルーム展示会みたいな感じがした。落ち着いた雰囲気というよりは「日本庭園なんでもあるよ!」みたいな。池、噴水、お茶を点てる家(なんて言うんだっけ?)、立派な松、趣きのある橋。整合性があるようには見えないが、とりあえず一通り揃えました!という感じが潔い。それもそのはず、兼六園の名は、李格非の書いた「洛陽名園記」で「湖園」を評した記述に倣ってつけられたらしい。

洛人云う園圃の勝
相兼ぬる能わざるは六
宏大を務るは幽邃少なし
人力勝るは蒼古少なし
水泉多きは眺望難し 

広々としていれば(宏大)静かな奥深さはなくなるし(幽邃)、人工的であれば(人力)古びた趣は少なくなる(蒼古)。池や曲水や滝が多ければ(水泉)遠くは眺められない(眺望)。それぞれ相反する6つの景観を兼ね備えているのは『湖園』だけ。ということらしい。



 これが有名な場所、徽軫灯籠(ことじとうろう)。人力勝るは蒼古少なし、ということだろうか。わりと、ふーん、ていう感じだったけど。この池の上流(?)に進むと、雁行橋(がんこうばし)という橋があるんだけれど、ここへ来て職業病が。



 ヨシノボリだー!こっちは成魚。



 幼魚が確認できるだろうか?この橋を境に底質が泥と礫(っていうか玉石)にきれいに分かれていて、泥のほうには成魚が、礫のほうには幼魚が。たぶん、礫を隠れ家として使えるか否かの違いかと。兼六園まで来てなにやってんだろうか?



 兼六園は松が大好き過ぎ。支え過ぎ。延命させ過ぎ。いいけど。



 兼六園を出て、九谷焼のお店に入る。15万円の皿だと……。退散しようとすると、おじいさんに呼び止められる。なんと職人の方だという。
 どうやって修行してきたのか、という僕の質問に答えて、こう言う。練習などない。常に本番なのだという。艶やかな九谷焼は様々な塗料を使う。もちろん、そこら辺の絵の具とは違う。貴重な鉱物なのだ。それは、自然が遥かな歳月をかけて創り出してきたもの。そのような有限な資源を磨り減らして、使っているのだ。練習などない。そんな傲慢なことはできない、と。



 場所は跳んで、手取川支流の砂防ダムへ。下流は河床低下、海岸は砂浜の後退が進んでいる。川に土砂が足りないのだ。その解決案として、砂防ダムにスリットを入れている。手取川は水源から河口まで70kmくらいしかないらしく、かなり急流だ。「日本の川はこんなに急流なんですよ!」の図でも常願寺川や安倍川のとなりにくるくらいの急流河川。砂防ダムをつくるな、というほうが無理な話だ。スリット化は現実的な対策と言える。



 河原にて。なぜかデジカメの設定がモノクロになり、戻らない。理系男子だが、機械には驚くほど疎い。しかし、これはこれで味のある写真かもしれない。



 昭和30年の写真です。嘘です。石川県立白山ろく民俗資料館。家屋のことはよくわからないが、美しい佇まいだと思う。



 家屋のなかにいたおばあさんから、「かまし」を頂く。カマシの粉を練って、砂糖を加えておやつのようにしてある。鴨の足に似ているから、かもあし、かまし。標準和名は、たぶんシコクビエだと思う。ヒエのなかま。ごちそうさまでした。



 綿ヶ滝付近にて。良い渓谷。やっぱり北陸は淡々としたところが、いい感じ。