マクルーハン

マクルーハン」(W.テレンス.ゴードン)読了。
メディアはメッセージ、なんだって!

マクルーハン (ちくま学芸文庫)

マクルーハン (ちくま学芸文庫)

マクルーハンって、誰?
マクルーハンのものの見方とは―
マクルーハンの伝記に踏み込むと
それはそうと、再び伝記に戻ると
グーテンベルクの銀河系』を探求する
『メディアの理解』を理解する
『メディアはマッサージである』(テレビ論)
メディアはメッス=エイジである(広告論)
地球村(グローバル・ヴィレッジ)
クリシェからアーキタイプ
『機械の花嫁』に戻ろう(漫画論)
パニックとしての芸術
遺作『メディアの法則』
最後のまとめ

 マクルーハンおもしろいよ!とよく言われる。デザインやメディア関係の人は必読とかなんとか。とは言っても、いきなり「メディア論」とか読めるわけないじゃないか、というわけでの入門書。これが、大当たり。なんといっても、このパワポというかポスターっぽい見せ方!

終始、こんな感じで、お絵かきと文章が融合している。それもそのはず、この構成がまさに、マクルーハンの主張とリンクしているのだ。どういうことか?

グーテンベルクの「活字」が人間の思考を変えた

書き言葉(writing)が広まるまで、人類は話し言葉(spoken word)に満ちた空間、すなわち聴覚空間(acoustic space)に暮らしていた、とマクルーハンは主張する。この空間には無限で、方向もなく、地平線もないが、情感に満ちている。書き言葉は、空間を、有限で、線的で、秩序だった、構造的な、合理的なものに変えてしまった。

 「論理的」であるだけの人は、このことを理解できない。思考というものが、ロジカルでライナーでなければ、価値がないと考えているのだ。そうした線形な思考方法は、人類の歴史の産物である。線形思考は、思考のひとつのパターンに過ぎない。
 1方向に進んでいくだけの文章は、人間の思考方法を限定してしまった。マクルーハンが主張するように、それが「産業社会」を産み、デカルト的な考えを産み、遠近法を産み、クロノロジカルな語りを産んだのかどうかについては、粗い仮説でしかないような気もするが、ともかく、僕らが、線形思考のワナに囚われやすくなっている、ということは事実だろう。
 だから、本書が、文章だけではなく、視点の移動が多い動的な表現方法にしたのは、線形思考に対するささやかな反抗と言える。そういう意味で、構成がマクルーハンの主張にリンクしているのである。このシリーズはほかにも、サルトルとか、ラカンとかあるらしいので、読んでみたい。

反環境的コントロールとして機能する芸術

 おもしろかったのは、芸術が新しいメディアに対するカウンターとして機能しているっていう話。話し言葉→書き言葉、に限らず、貨幣の登場、ラジオの登場、テレビの登場、インターネットの登場、そうしたテクノロジーが新しい環境を生みだすとき、移行の軋轢が人間存在を脅かすことがある。
 マクルーハンはそれを「伝染病」と呼んでいた。僕は「伝染病」っていう感じでは捉えていないんだけど。ともかく、その伝染病から社会を守るために、芸術が機能しているのだと。確かに、芸術を、仕事や研究しているときの思考で捉えたら、無用のものに思えるだけだ。芸術をみるときは、線形でない、現在はメインで使われていない感覚を導入する必要がある。これが、一種の刺激となって、伝染病に対する免疫がつくられる、というイメージだろう。