人間そっくり
「人間そっくり」(安部公房)読了。
どこからどこまでが人間なのだろうか?
- 作者: 安部公房
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1976/05/04
- メディア: 文庫
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人間の境界条件をどうやって決めるのか?という話は、なぜか知らないけどみんな気になるようだ。ミステリの登場人物が言う。首を切られた死体は「頭」と「体」、どっちが本人なんだ?両方?じゃあ、腕を切られた人間は?両方?じゃあ、いま爪を切った君は、爪も自分なの?
そうすると、SFの登場人物がやって来て言う。重要なのは肉体じゃない。精神、つまり思考のパターンが人間の本質なんだ。だから、それを再現できれば、肉体は捨ててもいい。
そこに、脳科学の人がやって来て言う。そういう考えもあったが、反応と行動の回路は、脳の中だけで完成しているんじゃなくて、ハードウェアとしての肉体にも関連付けられているかもしれない。
ロボット研究者も頷く。ヨーロッパの研究は人工知能が第一だったけど、日本ではむしろヒューマノイドをつくることが盛んだ。「鉄腕アトム」の完成には、両者のアプローチが必要な可能性が高い。
宗教学者がやって来る。それはたぶん、西洋の人はキリスト教的な考えをもつからだ。「神の創造物のトップとしての人間」と「それ以外」と区別する。
生物学者がやって来て言う。でも、実際は進化の系統樹を通してつながっている。むしろ、遺伝的にどこからどこまでを人と呼ぶべきなんだろうか?
工学者は言う。待った。違うレイヤの話が混ざりすぎている。それぞれの分野で目的に応じて人間を定義したらいいんじゃない?
でも、じゃあ、ある定義では人間だけど、別の定義では人間じゃないことがあるの?
あるね。
それは、怖いこと?
定まらないと、怖い?
アイデンティティに関わるからね。と心理学者。
人間である、というアイデンティティが脅かされることなんて、ないよ。
だから、なったらどうなるんだろう、という思考実験だったわけだ。
ふつう、そんなこと考えないよ。
少なくとも、人間ならそれを考えるポテンシャルがあるだろうね。