シェル・コレクター

シェル・コレクター」(アンソニー・ドーア)読了。
やっぱりわかりあえないんだな、という諦観が、「それ」を支えている。

シェル・コレクター (新潮クレスト・ブックス)

シェル・コレクター (新潮クレスト・ブックス)

 自然を美しく描く物語が好きだ。春の訪れを待つ、しんとした大地が好きだ。新緑が萌える、いきいきとした山林が好きだ。少しずつ色が移り変わる、渓谷の景色が好きだ。しかしこうして、自然大好き人間がそれをコトバに表すとき、どうしても、本当に残念なんだけど、「自然賛歌」に成り下がってしまう。
 自然はもともと、怖ろしいものだ。それを目の当たりにして、実感して、「それでも自然は美しい」と言える機会は、ほんとうに少ない。それらを「自然賛歌」にまとめてしまうのは、少し惜しい。
 「シェてル・コレクター」は「アメリカの若き新鋭による、希望に満ちた、心に沁みる短篇集」。とオビに書いてあった。作家としては珍しく、表題作の「貝を集める人」(= The Shell Collector)はもちろん、「ハンターの妻」、「ムコンド」など、すべての作品で、自然が丁寧に描かれている。アンソニー・ドーアの描く自然は、「自然賛歌」に留まらない。それはきっと、人間の望む「平穏」が、自然と根本的に相容れない、という直感からくるものだろう。
 その構造はストーリーにも見える。「人を救うことがどんなに素晴らしいことか」と主張する息子と、「ただそっとしておいてほしい」と考える主人公。化石を研究し、知の深みに潜っていく研究者と、知ではなく、直感で大地を愛する妻。両者は根本的にわかりあうことができない。
 そういったものをごまかしてしまう視点というのは、比較的ありふれたものだ。読んでいて心地よいだけの物語は、たいてい、そういうところを避けている。見ないようにしている。
 アンソニー・ドーアは決してそれをしない。できれば見たくない「本質的な共感不可能性」を直視して、書ききる。だからだろう。息を呑むような美しい文章が、そこにはある。