入社前に体験できてよかったプロフェッショナリズム3つ

 内定先の知り合いに誘われて、社内のセッションに参加してきた。詳しい内容は伏せるが、震災関連のプロジェクト報告会である。偶然もいいところだが、良い体験だったので、記録しておく。

フレームワークがめっちゃ突っ込まれてる!

 今回の案件はやや専門外の領域だったようで、アメリカのNPOが使っていたフレームワークを借用して使っていた。すると、「その文の主語はなにか?」「どういうシチュエーションが想定されているか?」「いやいや、単なるツールにすぎない」と、今までの静寂を破り、着いていくのがやっとの議論が展開された。
 一番びっくりしたのが、「もとのフレームワークを話者が誤解している」ということをほぼ正確に指摘した人がいたことだ。フレームワークの意図を的確に読み切り、そうすると、図がボックス矢印になっているのはおかしいのでは?引用前の図では表だったのでは?矢印になっているのは話者の誤解が反映されているはず、と指摘した。そして、事実その通りだった。
 よく考えてみれば、社員さん同士のちゃんとした議論を聴くのは、これが初めてだった。インターンで社員対学生の議論はあったけど、パワーバランスが悪すぎて、アドバイスみたいなかたちになってしまう。そういう意味で、これはスゴい!となった。

頭にあるのは、目の前の問題ではない

 研究室での議論と比較すると、目の前の問題、つまりコンテンツそのものを議論しよう、というノリはだいぶ低い。それはそうだ。そのプロジェクトは既に終わってしまっているもので、イマサラなにかを言ってもどうにかなるものではないからだ。
 むしろ、議論の「隠されたテーマ」となるのは、今回の件をどうやって他のプロジェクトの教訓とするのか、この領域でビジネスをやっていく上でどうやってマネタイズしていくのか、ということ。もちろん、そういったことを直接的に論じるわけではないのだが、出てくる質問からは、そういった今後のことを念頭に置いた質問が多い。議論に着いていくためには、そこら辺のバックグラウンドを共有しておかないときつい。

俺がフレームワーク

 多様性を許容する環境には、当然、多様な人がいる。なかには、天才的な頭のキレ方をする人もいて、そういう人は、「俺がフレームワークだ」と言える。もちろん、新人にはできないことだが、その人が右じゃない?と言ったら、過程はともあれ、かなりの確率で右が正解。そういう人もいる。
 しかし、君はそうじゃないだろう?そのように先輩に言われていたのは話者の人。飲み会の席でのことだ。だから、僕らはなにか武器を磨くしかない。その武器は今回磨かれていたか?と。
 この話を聞いて、ああ、僕もそっち側の人間だな、と思った。あるコンテンツについて話し合っていても、常に複数の視点が求められる。社会にとって、会社にとって、グループにとって、自分にとって。シングルコアでいるわけにはいかないな、という感想。