今年読んでよかった本 in 2011

 年末なので、今年読んでよかったなーという本でも紹介してみようかと思う。対象は、僕が今年読んだ本のうち、オススメできる本。あと、このブログで言及したもの。ブログで感想書いてる以外にも何冊か読んではいるけど、それらは僕としては「読めていない」という扱いなので、取り上げない。
今年読んでよかった本 in 2010
今年読んでよかった本 in 2009

思想としての「無印良品」? 時代と消費と日本と?

思想としての「無印良品」? 時代と消費と日本と?

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 「モノを売るにはどうすればいいか」を考えるだけだと、そんなにおもしろくない。でも、そういうモノが売れるのはどういう社会があるからで、それだけ売れているのはどういう思想が根底にあるからなのか?ということと行ったり来たりしながら売り方を考えるのは、かなりおもしろい。
 時代に応じた「顧客像を創る」こと。それが結局は市場で成功していく、というのが興味深い。こういった試みは、放っておいても誰かがやる、という性質のものではなくて、時代の流れを感じとることのできる無印良品と、産業・経済偏重の流れに飽き飽きした「消費者」とが、その時代に固有な文脈の中でのみ創り出せるものだ。もちろん、どのような分野でも、自らの領域に危機感を持っている人たちはいるものだ。それは例えば、台所である。
台所空間学 (コンフォルト・ライブラリィ)

台所空間学 (コンフォルト・ライブラリィ)

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 毎日毎日、考えなければならないことがたくさんあるから、関心の網を通り抜けるものがほとんどだ。本書を読んで、死ぬまでに気づかないことっていうのはたくさんあるんだろうな、と思う。
 台所はもともとどういうものだったのだろうか?どういう姿であるべきなんだろうか?台所は内ではなく外だった。台所は料理をする場所というよりは、食糧を加工する場所だった。日本の台所は本来的に「きれい」ではいられない。
 などなど、驚きこそするものの、考えてみればその通りだと思わされることの数々。いかに、関心を払って来なかったかに気づかされる。しかし、なんといっても身近であるにも関わらず、意識しきれていないのが、活字が思考に与える影響。
マクルーハン (ちくま学芸文庫)

マクルーハン (ちくま学芸文庫)

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 マクルーハンという名前は聞いたことがある人が多いかもだけど、なかなか「メディア論」とかには手が出せないもの。難しいし、高いし。本書はその点、初心者にとって、最も手の出しやすいマクルーハン入門じゃないだろうか。文庫だし、パワポ的あるいはポスター的な構成だし。
 書き言葉が浸透するまで、人間の思考は方向や地平線のない空間として存在した。書き言葉が広まると、思考は線形になり、構造的なものになったという。得たものもあるが、失ったものも多い。そうであればこそ、一方向的な文章ではなく、図解で表現される本書は、線形思考に対する、ささやかな反抗なのである。
 でもこういうのって、あくまでも「ささやかな」反抗にとどまるしかなくって、今の時代を生きている自分が、そうでない世界に生きることは、たぶんできないだろう。
第四間氷期 (新潮文庫)

第四間氷期 (新潮文庫)

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それはまさに、「第四間氷期」で感じた怖さに相当するものである。

ふいに、全身がけだるく、しびれるような感覚におそわれて、私は口ごもった。星をみながら、じっと宇宙の無限を考えたりしていると、ふと涙があふれそうになったりする。あれと同じ感覚である。絶望でもなければ、感覚でもない、いわば思考の有限性と肉体の無力感との、共鳴作用のようなものだった。

 安部公房としては、かなり読みやすいが、読みやすいということは、考えるべきことが少ない、ということにはならない。この物語を読んで、どんな立場で、どんな視点に焦点を当て、どんなことを考えるのか。それはひたすら読者に委ねられていることだ。
 僕の場合、その思考の起点は、上で引用したような「無力感」であった。ネガティヴになりがちなところからこそ、おもしろい思考は始まる。そう気づかせてくれたのは、「フラジャイル」だ。

フラジャイル 弱さからの出発 (ちくま学芸文庫)

フラジャイル 弱さからの出発 (ちくま学芸文庫)

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 ところでいったい、「弱さ」とはなんなのだろうか?人間はあまりにも「強さ」に固執しすぎてきた。強くなりたい、と願うばかりに見ないようにしてきたものがある。それが「弱さ」。いったい、「弱さ」とはなんなのだろうか?そういうものの系譜が存在するのだろうか?「強さ」にはなくて「弱さ」にはあるものはなんだろうか?松岡正剛による「弱さ」の編集が始まる。
 「強さ」が優れていて、「弱さ」が劣っている、というのが、一般的な考えだけど、本書を通読するとむしろ、「弱さ」は強さのカウンターアタックみたいなもののように思えてくる。「弱さ」から、フラジャイルなものからなにかを取り出した小説としては、これが今年のアタリだった。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

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 ある小説に「なにが」描かれているか、というのは一言で言えるものではないと思うし、それに意味があるかもわからないが、僕はこの小説は、子どもが大人になっていく過程で、どのように世界の輪郭を捉えていくか、ということが丁寧に描かれている作品だと思った。
 幼少期に捉えている世界というのは、今になって思えば、ひどく曖昧で、笑ってしまうようなエピソードも多い。それが、年齢を重ねるに連れて、「世界とはこういうものなのだ」というリアルな輪郭を持った存在として現れてくる。このピントが徐々に合ってくる感じを、しっかりと描いた本には初めて出会った。これはいわゆる、スゴ本というやつ。
シェル・コレクター (新潮クレスト・ブックス)

シェル・コレクター (新潮クレスト・ブックス)

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 そういう、共感による感動というのもある一方で、「やはりわかり得ないのだな」という、共感不可能性による感動というのも、またある。アメリカ文学など作家の一人も挙げることができないが、アンソニー・ドーアには絶大な期待を寄せている。
 特に、彼の描く自然が好きだ。僕が自然描写フェチなところはたぶんにあるので、それを割り引いたとしても、それでもまた、その自然描写は美しい。人と人が分かり合えないように、自然と人もまた、「相容れない存在なのだ」という諦観が、きっとそれを支えている。

以上、7冊。来年も面白い本が読めますように。