自分の人生が,まるで自分のものに感じられなくても,それでも.

タイタンの妖女」(カート・ヴォネガット・ジュニア)読了.
だれにとってもいちばん不幸なことがあるとしたら……

 実は未読だったり.ヴォネガットは「猫のゆりかご」と「スローターハウス5」は読んだことある.「猫のゆりかご」の「猫,いますか? ゆりかご,ありますか?」のセリフにはニヤッとしたけど,同時にイラッとしたクチなので,タイタンもどうなることやら,というわけで.
 これは「猫のゆりかご」のネタバレなんだけどども,「猫,いますか? ゆりかご,ありますか?」はどういうことかっていうと,アヤトリでひもを繰るように*1人間は様々な営みを刻んできたけれども,結局のところ,猫もいないし,ゆりかごもない.全部空っぽだったんだ,という.
 そういうのは,なんかアタリマエっていうか,キリスト教的な価値観の充満した世界では違うのかもしれないけど,そこからどう人生に意味づけしていくかっていうのが問題じゃないかーって大学生になり始めくらいの僕は思ったのでした.それで,それくらいでドヤ顔してんじゃねーよ,っていうふうに「イラッとした」んだろうけど,まあ,そんなこと,作者も気づいてたんだよね,と今になって,やっとわかった.だって,「タイタンの妖女」のほうが先に書かれていたんだから.
 これもたいがいネタバレだけど,この話の登場人物はたいてい誰かに利用されている,というか,操られている,と言ってもいい.記憶を消されて利用されたり,利用している側だと思っていたら,実は「利用している」理由を思い出せなかったり,果ては地球の目的そのものがちっぽけなものだったり.
 SFスケールでモノを動かして,でもやっぱりやってることはなんかショボイというのは,「銀河ヒッチハイクガイド」シリーズでもおなじみなんだけど,なにかが違う.
銀河ヒッチハイク・ガイド (河出文庫)

銀河ヒッチハイク・ガイド (河出文庫)

 あ,そうか.「銀河ヒッチハイクガイド」はスゴいこと起きてるけど「何が起きても気分はへのへのカッパ」なんだ.でも,ヴォネガットの作品は,スゴいことが起きて,コミカルに語られているけど,登場人物たちはすごくシビアに受け止めてるんだ.
 だって「猫,いますか? ゆりかご,ありますか?」だからね.そういう登場人物たちが「利用されている」と気づいたときのダメージは,僕たちが現実世界で「利用されている」と気づいたときのダメージに匹敵する.僕らは「銀河ヒッチハイクガイド」の登場人物にはなれない.
 そうして,いたって等身大の人間が「利用されている」ことに気づいて,出した答えが,そもそも,生きるということが,利用し利用されることなのだ,ということ.だから,自分の人生が,まるで自分のものに感じられなくても,それでも.

*1:「猫のゆりかご」というアヤトリの技(?)があるんだっけか?