日本列島草原1万年の旅

「草地と日本人 日本列島草原1万年の旅」(須賀丈,丑丸敦史,岡本透 )読了。
草原ってあまりなじみのない風景と思っていたけど……

草地と日本人―日本列島草原1万年の旅

草地と日本人―日本列島草原1万年の旅

目次
序章
第1章 日本列島の半自然草原―ひとが維持した氷期の遺産
第2章 草原とひとびとの営みの歴史―堆積物と史料からひもとかれる「眺めのよかった」日本列島
第3章 畦の上の草原―里草地

 あなたの原風景を思い出して下さい。と言われて、草原を思い出す人はあまりいないんじゃないだろうか?まあそもそもそも、「原風景」というキーワードから自然的な景観を呼び起こす人がそれほど多くないかもしれないし、「原風景」というキーワードにいまいちピンとこない人も多くないのかもしれないが、やはり「日本人の原風景」として挙げられるのは、水田だったり、森林だったりすることが一般的だろう。「草原」という景観はどちらかというとヨーロッパとか、「大草原の小さな家」はアメリカかな、というような西洋的なイメージがついて回るような気がするわけで。
 じゃあ日本には草原は少ないの?っていうとそんな訳はなくて、というか「草原はたくさんあった」らしい。僕のフルサトは武蔵野である。具体的な都市名ではなくて「武蔵野」が一番しっくりくる。武蔵野の原風景はやはり雑木林だと個人的に思っていたのだが、時間スケールを拡大すると、そうでもなく、草原が卓越していたそうな。
 関西以西出身の人で(かつ、わりと繊細な視線を自然に向ける人?)は東京の土壌が黒いことになかなか驚くわけだけど、黒ボク土はその地域がもともと草原であったことを示すのだとか。黒ボク土の「黒」が腐植に由来していたことは知っていたけど、過去の景観と知識が接続していなかったということは、形式的な理解の域を出ていないということだ。それでつまり、武蔵野も「昔」は草原であったということだ。
 じゃあなんでそういう草原は失われたのだろう?居住地に変わったから?畑地に変わったから?どちらも的を得ていないのは、草原がそもそもどんな環境下で成立するのかがわかっていないから。
 草原は安定しない環境だ。高校の理科の教科書を引っ張ってくるまでもなく、草原はやがて陽樹の林となり、陰樹の森となる。つまり、ずっと草原である場所というのは長いスパンで見たら存在しない、はずだ。人間の力なしでは。つまり、人間が火入れをするとか、草刈りをするとか、放牧をするとかして、初めて草原は草原としてそこに存続できる。
 そうした、人と自然との境界で成立していた自然というのは、人間の手つかずの自然と比べて価値が劣るとかそういうことはないはずだし、むしろ時間経過とともに生じる希少性という意味では、価値が高いとすら言えるかもしれない。