村上春樹は文庫で読みたい理由
「1Q84-1」(村上春樹)読了。
読みやすいシチュエーション、読みにくいシチュエーション。
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/03/28
- メディア: ペーパーバック
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この感覚についてもう少し説明すると、村上春樹的な思考スタイルは、僕にとって外側の思考と言えるかもしれない。そもそもリアルで人にしゃべるときのテンションと、文章に「浸る」ときの感覚フレームは、スイッチを入れ替えるかのごとく異なっていて、村上春樹の文章は前者と相性がいい。
本を読んでいて人に話しかけられても、すぐにレスポンスできる状態だ。こういうのは外で文庫で読むのが向いている。今回読んでとても似通った印象を受けた伊坂幸太郎とか、石田衣良とか、東野圭吾とか、そういうの。キーワードを羅列して共感を請うのだとすれば、都市的、電車的、カフェ的、パスタ的、やれやれ。
これに対して内側の感覚フレームは人とコミュニケーションを取るのに絶望的に向いていなくて、こういうのは家でハードカバーで読むのが向いている。うっかり外で読むと、いつも通りのコミュニケーションに偏重をきたしてしまう。いつも通りのコミュニケーションが「偏重をきたしている」と思われていなければ、だが。本で言うと、恩田陸とか、重松清とか、安部公房とか、そういうの。
文庫が出てから読んだのはその辺の理由。村上春樹って特に好きでも嫌いでもなくて、なんでみんながそんなに読んでるのかはよくわからない。ノルウェイ、カフカ、ねじまき鳥、アフターダークとエッセイを少々、というくらいしか読んでいないので、深く知っているわけではないのだけど。ちなみに個人的にはねじまき鳥が最強。
読みはじめの感想としては、すごく具体的だなーと思って。例えば宗教団体みたいのが出てきたりするんだけど、なにをモデルにしているのかっていうのが極めて明確。今までの村上作品ではもう少しぼやかしたような、それがなんなのかわからない存在がたくさんあった気がして、そういうものはどこへ行ってしまったんだろう?という。もし、9からQへスイッチングすることで、徐々に幻想的になっていくというようなマジックリアリズム的手法なら、だんだん巻を追うごとに「一言で現実世界の構成物に還元できないもの」が増えていくのかもしれない。というわけで、読み始めました。