水神

「水神」(帚木蓬生)読了。
現代にはない土木事業の姿が。

水神(上) (新潮文庫)

水神(上) (新潮文庫)

 別府は雨だった。せっかく旅行に来ているのに大雨で、これからの3日間が思いやられる。オーギュスタン・ベルグの「都市のコスモロジー」は飛行機の中で読み終わってしまい、旅先で読む本はもうない。駅の本屋に入って手にとったのは「水神」。筑後川水系の破堤がメディアを賑わせていたので、なんともタイムリーである。
 この本は、筑後川の堰造りの話。筑後川では、17世紀後半から18世紀にかけて、筑後川四堰といって4つの固定堰が造られたが、その2つ目にあたる大石堰の物語である。助左衛門が構想していた、渇水に苦しむ村を救うための水路計画。それを、5つの庄屋が主体となって、私財を投げうってでも、多くの反対にあいながらも、完成させていく、という。
 オモシロイのは、この事業が徹頭徹尾ボトムアップで進められていたこと。例えば同じ大工事モノ(?)としては、「黒部の太陽」とかがあるわけだけども、明治以前の公共事業と、明治以降の公共事業はぜんぜん違うんだよね。
黒部の太陽

黒部の太陽

 明治以降はやっぱり中央集権で、国がその事業の必要性を判断する要素が強くて、その地域とは直接関係ない人もたくさん関わっているわけだ。それに比べると、この大石堰の話なんかは象徴的で、始まりは「オイットサ、エットナ」という掛け声で始まる。これは「水神」の裏主人公とでも言うべきただの農民、元助が打桶(川から桶で農地に水を入れること)をする時の掛け声で、これがいつの間にか堰造りの現場でも響き渡るようになる。そんな感じで、庄屋が自身の命や財産を賭け、農民が分裂を乗り越えて団結し、その地域の人間が自分たちのためにやった事業なんだよね。
 これはもう、今の時代は存在しないタイプの公共事業。もちろん、江戸時代でも玉川上水とか、トップダウンの事業はたくさんあっただろうけど、大石堰みたいに、ボトムアップで土木事業を行えた、最後のチャンスだったんだろうな、と。
 これと比べると、今では土木事業を実行する人や利益を享受できる人が、地域から引き剥がされがちになっているわけで、これは明治以降の人と自然との向き合い方の反省点その1なんじゃないかと思うなあ。 マインドまでスケールを下げて考えると、昔が良かったと言うわけではないけど、「黒部の太陽」で主人公の倉松仁志が事業にかける想いと、助左衛門が大石堰にかける想いは、かたちは同じかもしれないけど、中に入っているものはたぶん違うだろうと。
 顔も知らない人のために大工事を為す使命感と、目の前にいる人や自分の属するコミュニティのために大工事を為す使命感。誤解のないように言えば、僕は前者を成し遂げられるのはとても人間らしいことと肯定的に思っている。いるんだけども、そこで使命感を感じられる人だけに任せることが、自然への無関心のトリガーを引いて、結局よろしくない社会になっているのであれば、それは改善点があるよなーと思うわけです。