ねむり姫

「ねむり姫」(澁澤龍彦)読了。
本による地獄めぐり、寄り道編。

ねむり姫―澁澤龍彦コレクション 河出文庫

ねむり姫―澁澤龍彦コレクション 河出文庫

 地獄めぐりはもう少し続く。なんにせよ、僕の見ている「地獄」が「日本的なるもの」とわかったのであれば、日本の物語に目を向けなければならない。僕の小説読書経験からすっぽり抜け落ちているのは、時代モノと歴史モノで、とりわけ日本のものにはちっとも縁がない。そういう状況でやってきた機会は、どちらかというとオカルトチックな入り口である。

完成された世界

 辻褄が合う、ということは難しい。ロジカルな文章で辻褄を合わせるというのはそれほど難しくないし、というか、そうでなければならない。でも、物語世界の辻褄を合わせるのはけっこう難しくって、これは要するに、読者が読んだときに、ああ、そうだよね、と腑に落ちてくれなければいけない。そういう物語はなかなかない。僕のように捻くれた人間だと、「世にも奇妙な物語」を見ていたって、そうかぁ?と首をひねることがある。これは「辻褄が合っていない」のだ。ほかの可能性がある、リアリティに欠ける、思考実験がうまくいっていない、そういった要素が「辻褄」という言葉に集約される。
 この本にはぜんぶで6つの短編があるが、そのどれもが「辻褄が合っている」のだ。「ねむり姫」には、眠り続けているにも関わらず老衰もしない姫が出てくるが、その存在の説得力といったら、ない。もちろん、ロジカルな説明がついているわけではないのだが、「そういうこともあるかもしれんね」と思わせてしまう、世界構築力というか、そういうのがあるんだよね。完成された世界があって、そこで聞いてきた話をそのまま喋っているような感じ。

自分の中を覗きこむととても昏い

 そうそう、地獄巡りだった。一番美しい物語は「ねむり姫」、一番してやられた物語は「画美人」、一番地獄を感じたのは「狐媚記」。「狐媚記」は、狐の子を産んでしまった北の方と、その夫、左少将の物語。その複雑な心理は共感できるものと言い切るには躊躇があり、ただ、躊躇するということは一部の共感もあってなかなか紐解けない、解きたくない。というのはやはり、自分の昏い面をあまり見たくない、ということなのだけれども、まあ地獄巡りにはそういう一面があるわけで。

そういえば、確かに左少将は、かつて妻のほんの些細な疑わしい行動、ほとんど浮気とも言えないような浮気の兆候を根にもって、これに懲罰を加えてやりたいと考えたことがあったのである。疑心暗鬼を生ずというが、この自分の心のなかに生じた暗鬼をそのまま現実のものにして、彼女に懲罰を加えるための口実をつくってやりたいと考えたことがあるのである。

これは複雑ですな。ある種の超常的な力が現存する世界というのは、心理的なものと現実的なものとの距離がすごく近い。僕らがふだん生活している世界では信じられないくらい近い。でも、その距離っていうのは、明確な境界があるわけじゃなくって、あくまでも程度問題だから、「思っていることは必ず実現する」的な言説にも一部の理があるように、毎日の世界と、非日常的な地獄とがけっきょくは「地続き」なんだろうなと思う。

インタールード

 んー、まあ朝から仕事場に行く間に読む本じゃなかったな。現実に引き戻すのがそれなりに大変です笑。なにやらこの本の「写真絵本」というのもあるらしく、日本的なものが一切排除されているのだとか。日本のものを使わずに日本の思想を表現する、ということだろうか。機会があれば見てみたい。

ねむり姫

ねむり姫