リスペクトって、原作に忠実なことじゃないだろう?

トーマの心臓」(森博嗣)読了。
「憧憬」というのは、難しい感情だと思う。

 萩尾望都の漫画「トーマの心臓」のノベライズ。この本の入り口はふたつあって、萩尾望都を知っていて手に取る人と、森博嗣を知っていて手に取る人と。僕はまあ、後者で「トーマの心臓」は未読なんだけれども、萩尾望都を読んだことがないでもない。「11人いる!」はけっこう好きだ。形式上、少女漫画というジャンルになるのだろうが、宇宙×閉鎖空間×ティーンエイジャーという意味では、「無限のリヴァイアス」とかに近いような。……どんどんわかりにくくなっているし、本題から離れていくので軌道修正すると、あまり萩尾望都のことは知らないけれど、ジャンルの垣根の内側には収まらないような、すごい漫画家さんらしいということ。
11人いる! (小学館文庫)

11人いる! (小学館文庫)

 森博嗣にとって、萩尾望都の存在は特別な存在だったようで、飼い犬の名前に「都馬」(トーマ)とつけていたことからも、そのコダワリが伺える。文庫版のあとがきにはこうあって。

それ以前に、このときの僕の最大の使命は、これを読んだ人たちに萩尾望都の「トーマの心臓」を読みたくさせること、でした。

いろんな人の感想を読んでみると、なんで舞台がドイツじゃなくて日本なんだ、とか、ユーリの身になにが起こったかがぼかされている、とか、そういう意見があったのだけど、想定読者が「トーマの心臓」を読んだことがない人なら、それもそうだろう。
 「原作を読んだときの「新たな」感動を損なわないためでもありました」とあとがきにはあった。「リスペクト」=「原作に忠実」ということではないのだな、と気づく。自分のつくったものが、素晴らしいものに触れるきっかけとなるだけで、十分幸福だ、と。そう思える一瞬は、貴重なものだと思う。
 あ、そうか。そういうリスペクトが、次のコンテンツを手に取る最強の動機なんだな。今でこそ、無名の僕のような人間が書評のマネゴトをしているけれど、本来、書評とかそういうものって、名のある人がすることだったんだよね、たぶん。で、すごい人が、リスペクトに耐えうる人が「この本は素晴らしい洞察だ」と言って本を薦める。あの人がそんなに薦めるなら素晴らしいものに違いない、といって本を読むことが、自分の身の丈では届かない領域、あるいは交わることのなかったはずの世界を見せてくれる。さて、年が明けたら、漫画版を読んでこよう。