婆のいざない

「婆のいざない」(赤坂憲雄)読了。
悲しき東北、といったところだろうか。

婆のいざない―地域学へ

婆のいざない―地域学へ

 赤坂憲雄の著書は初めてだけど、東北学を提唱した人物であることは知っている。地域学は学際的なアプローチ、つまり対象を固定していろんな角度から眺めてみる、という手法を取る。このアプローチが最終的に辿り着くのは「やっぱりみんな違うよね」というところ。あるいは「そうは言ってもみんな違うはずだ」という確信や哲学がそういうアプローチを取らせるのか。

BGMはひたすら姫神。好きなんだよね、こういうの。

東北は辺境ではない

 これまで東北が語られるとき、常に京都や奈良と対称的に語られてきた。東北は辺境であった。でも、そうではない。そうではない、というか、そう捉えるには違和感がある、ということだ。京都や奈良を中心に日本が広がっていて、その辺境に東北があるのではなく、日本にはいくつかの中心があって、それらが複合して日本をかたちづくっている、と捉えるほうが違和感が少ない。
 僕自身の文脈では「やっぱりみんな違うよね」は、生態系の組み立てられ方が土地によって全然違ったり、河川や山地の様相が地質の違いでぜんぜん違うものになったり、そういう人の意志が介在しないところで見てきた。で、これまで人が介在する対象を意識的に避けてきたのは、地質や生物と、社会や文化はたぶんこれまで注目されているよりも関連性が高いはずで、だとしたらパラメータの少ないものからほどいて見ていかないとぐちゃぐちゃになって分かんなくなっちゃうんじゃないかな、という懸念が少なからずあった。この辺は、もっと大きな視野で見れば、「銃、病原菌、鉄」。まあ、ようやく社会や文化に目線が乗るようになってきたのかな、とも思う。

東北にはもともと被差別集落がなかった

 で、著者はどうやってこの思想に辿り着いたのか。多くの研究をしてきたのだろうから、これというものはないかもしれないけれど、著者のもともとの専門分野のひとつは被差別集落だったらしい。
 定説として、中世以前の東北には非差別集落が存在しなかったらしい。この理由に関しては、著者は定説に反論を繰り広げているけれども、「存在しなかった」という事実に関しては一致していて、経験・実感レベルでも「差別が見えてこない」と語っている。被差別は西の方から、17世紀以降に持ち込まれたものであるようだ。確かに、僕らの世代ではもうその手の言葉は馴染みのないものとなっているけど、そういった話題がスタートするのは関西の人が多いような気がする。
 中心と辺境という対比を捨て、複数の中心があった、という視点に立つことによって、こうした「問い直し」がいくつも生まれている。稲作以前の日本を想定できるのか?ブナ林文化は太平洋側と日本側ではかなり異なっていたのではないか? あるいは、やはり逆で、問い直しを積み重ねることで思想に昇華しているのか。もしかしたら、理解の深化と思想の更新は、お互いにフィードバックしあっているかもしれない。

内なる他者のフォークロア

内なる他者のフォークロア

「旅」とは誰がデザインするものであったか?

もうひとつ興味深かったのは、「旅」というものの捉え方。

旅や観光はこれまで、もっぱら都会の旅人たち、観光に訪れた人々を主人公にしてデザインされてきました。わたしはしかし、それをどこかでひっくり返さなければいけないと感じています。いわば旅人を迎える地域の側が主人公になって、旅や観光をデザインする時代が訪れようとしているのではないか。

 僕はずっと、旅の楽しみは旅人が掘り起こさないといけないものと思ってきたけども、どうもそれだけじゃないんじゃないか、という気がしてきた。旅人は空気のような観察者で、その土地の人はいつも通りの生活を営んでいれば良い、というのも確かになんか違うような気もする。強制できるものではないんだけれど、地域の人とコミュニケーションできることが理想である。これまでの地域振興ワークショップとかの経験からいくと、あまりうまくいかないんだけどね。たぶん資本主義的な考え方とは相性悪いんだろうな。この辺のしなやかな接続はいつも課題だと思っている。

日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)

日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)