「下町ロケット」をそうやって消費する日本社会が怖い

下町ロケット」(池井戸潤)読了。
あー、すごくオッサン受けしそうな物語だな―と思った。

下町ロケット

下町ロケット

 なんていうか、この物語がどういう文脈で消費されてきたのか、というのはとてもよくわかる。直木賞の受賞は未確認だけど震災うんぬんあるだろうし、まあ置いておくとしても、なんでこの本がベストセラー足り得たのか、という意味で。一言で言えば、オッサンが飲み会で新入社員に上機嫌で薦める本だ。やっぱり日本企業はこうでなくちゃならない。我々のプライドはこういうところにあるんだ、って。
 幸か不幸か、僕はこの本をそういう流れで手にとったわけではないし、それが嫌だと感じることもない。ただ、その文脈での「日本再生」はないだろうなあ、と思うだけで。日本は技術が強い。良いと思う。それを支えるのは真面目で実直な技術者である。その通りだと思う。彼らを擁する日本企業が国益を支えている。もちろんだと思う。
 でも、その路線で大丈夫ですか?昔は良かったと言っているだけではないですか?そもそも目指す場所はそこで合っていますか?そういう声が、頭から離れないんだよ。巨大企業を唸らせるカタルシスにも、目頭が熱くなる人間ドラマにも、宇宙に意気揚々と飛び出していくロケットにも、心から酔いしれることができない。
 もちろん、これは穿った見方だし、エンターテインメントでそんなことを気にしても仕方ないんだけどさ、でもさ、たぶん、これに酔いしれてたらマズいと思うんだよね。それかあるいは、もう少しマッチョな/エリートチックな発想に立つなら、別のストーリーで「酔いしれさせる」ことができないとマズいと思う。
 この本を読んで、そうだ!日本の真髄はここにあるんだ!って感銘を受けている人がいるとして、その人が「オッサン」か、あるいは生粋の技術者ならまあいいと思う。まあ、生粋の技術者でも最近はダメな流れかもしれないけど。なんだけど、それが20代だったら、ちょっと問題ありだなー、と思う。
 というのは、この本のエピソードは基本的に現状の肯定だから。知財の防衛が会社の仕組みとしてうまくできていない状況とか、営業と経理との認識のズレとか、技術そのものにはホントになんにも欠陥がなかったりとか。そういうことをぜんぶ棚上げにしておいて、「夢と意地と根性」でクリアしてしまうのは、運が良かったとしかいうほかないし、これから日本が「下町ロケット」に出てくる佃製作所みたいな工場がいくつも出てくるような国になるんだろうか?なれるだろうか?というのはすごく疑問で、どちらかと言えば、プロジェクトXで当時の関係者を呼ぶと、重要な関係者のひとりが亡くなっていて、おじいさんがその方のエピソードを語ってしまうような、それくらい、現代の物語のように感じられなかった。そういう意味で、リアリティに乏しい。
 断っておくと、楽しい本だった。エンターテインメントとして優れていた。それでも僕にはこの本が、今にも崩れそうな足場の上に立ちながら、やっぱりやればできるじゃないか!と笑っている、という、それはそれは怖ろしい物語のように見えてしかたなかったりする。