イザベラ・バードという素敵な人物について

 東北のことをもっとよく知りたい、と思ったのは、やはり震災がきっかけだっただろうと思う。震災があって、東京と東北がどうつながっているか、というパスに敏感になった。東北から東京には人が運ばれてきている。農作物や魚介類も運ばれてきている。工場からは部品や製品が運ばれてきている。それはあたかも「工場」のようだ。今のは政治家が言えば失言かもしれない。
 ともあれ、東京と東北の結びつきの強さは、関西や東海の比ではないだろう。そういう「東北」のことをよく知らないのだ、というのは少しショックであった。地域特性に沿った技術や社会が望ましいと思っているくせに、自分にかかわりのある具体的な地域のひとつも「知らない」なんて。
 地域の特性を深く理解するのは、たぶん、とてもむずかしい。地域振興協会がPRしているものは、ほんとうに地域の魅力なんだろうか。経済的な成功だけをゴールと捉えるなら、みんなの視線を気にしないといけない。都会の顔色を伺って、ウケるものを出さないといけない。観光客向けに牡蠣を丁寧に料理して出すけれども、地元では牡蠣なんて余るほどあって、カレーに大量にぶち込んで食べている。そっちのほうがずっとうまい。そんな話をどこかで読んだ。
 そういう「価値の発掘」が地域振興につながるのかどうかはわからないが、どうもローカルさの持つ価値は、宣伝されているものではないところにもあって、それらを見出すのは並大抵のことではないようだ。価値観に対してはもっとフラットに、だけれども、世界の構造としてはもっと深く見ないといけない。それはどういう「眼」なのだろうか。僕はそれが知りたくて、この本を手に取った。

日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)

日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)

 女性旅行家であるイザベラ・バード明治11年、横浜に降り立った。当時の日本と言えば、明治政府ができてからもそれほど日が経っておらず、外国人が踏みしめたことのある土地といえば、東京周りはいいとして、北のほうになると、日光や新潟、函館くらいだ。それを、バードは徒歩と馬と船で旅行しようと考えた。江戸を出発し、日光を過ぎれば、そこはもう「未踏の地」。日本海側へ出て、湯沢、新潟を経由し、青森へ抜ける。そこから船で函館へ渡り、北海道を巡る。過酷な旅だ。

無邪気な目線と、ある種の神性

浅草を訪れたとき、四天王像を見たバードはこう記している。

藍色の怪物は青色の鬼を踏みつけ、もも色の怪物は、鉤爪の足で肉色の鬼を踏みつけている。彼らの形相のものすごさを少しでも理解できるように描写することは難しい。いじめられている鬼どものほうが、かえって無邪気な顔をしているので、そちらに同情したいほどである。

これである。視点がフラット。鬼さんカワイソウです。というのは素直な感想だと思う。少し権威ぶろうとすると、仏教の解説など始まってしまうけれども、そういったことは一切ない。もし、知的にハイレベルな文章を書こうとすると、それ相応の強度が要求されるわけで、そうでない場合、凡庸な解説文に留まってしまう。バードの言葉には、そういう気取ったところがない。妹に宛てた手紙をベースとしているからなのかもしれないが、知識より客観性を優先させる書き方を取っている。そして垣間見える感受性、この組み合わせがツンデレみたいなものでして大変たまらないわけでして、リズたんカワユスなのですね。※イザベラなので略称はリズでいいんじゃないでしょうか?
 で、そのツンのほう、もう少しマトモな言葉で言えば、修道女のような落ち着き、あるいは孤高さは、彼女の粛々とした行動力と毅然とした態度に補強されている。って、別にキャラクタ小説じゃないけど。「伊藤」とのやり取りではその辺がわかる。
 日本人ガイドの「伊藤」は素性がよくわからない人物だが、「彼は私の英語を理解し、私は彼の英語を理解し」た唯一の人物である。バード曰く「信用できず、嫌いになった」らしいが、ほかに十分な能力のある人がいないため、彼を連れていくことになったらしい。ラノベっぽい。ちなみに、素性がよくわからないのは伏線であり、旅の終盤に大変なことがわかる。ちなみに、幼馴染だった!とかではない。
 伊藤は困難な道を好まないため、すぐに「増水して渡れない」とか「悪路で数日もかかる」といって楽な道を選びたがるが、バードはそうしない。自分の決めた旅路を必ず進むのである。この使命感に似た行動力は、ちょうどそう、幸田文が晩年になり、男たちに負われてでも老樹を見に行ったストーリーを思い起こさせる。誰に命じられているのでもない。明確な目的があるのでもない。それでも、「それ」を目にしなければならない、触れなければならない、という彼女たちを突き動かすものはいったいなんなのだろうか。ある種の神性のように、僕には見える。

どういう切掛けから、草木に心をよせるようになったのか、ときかれた。心をよせるなど、そんなしっかりしたことではない。毎日のくらしに織り込まれて見聞きする草木のことで、ただちっとばかり気持がうるむという、そんな程度の思いなのである。

幸田文がこういうふうに記した、あの感覚がバードにもあったのかもしれない。

木 (新潮文庫)

木 (新潮文庫)

バードが目にしたもの

そういう、無邪気な視点を持つバードだから、手放しに「未開の地」を礼賛したりしないし、頭ごなしに否定することもない。

こんなことは書いてよいものかどうかわからないが、家々はみすぼらしく貧弱で、ごみごみして汚いものが多かった。悪臭が漂い、人々は醜く、汚らしく貧しい姿であったが、何かみな仕事にはげんでいた。

 バードが驚いたことをいくつか書きだしてみよう。
 ひとつは、危害は加えられないけれど、野次馬根性が盛んすぎること。「私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている」と書いているくらいで、危害を加えられることはなかった。けれどそのかわり、バードが寝ていると、障子にいくつも穴が開けられて、いくつもの目が覗いていることは日常茶飯事だったらしい。
 ふたつめは貧困層とスラムの不在だ。確かにみな貧しいが、それは全体のことであって、特定の層がまずしいというわけではないこと。皆が仕事、というか生業を持っているというのは、欧米の目で見ると不思議なことに映るようだ。以前、「婆のいざない」を読んだときに、東北には「もともと」被差別集落がなかった、ということを知って驚いたけど、こういうことともつながっているかもしれない。
 みっつめは、子どものうちから「小さな大人」であること。「おままごと」のなかで大人の役割を演じていることが、とても興味深そうに記されている。確かに、英語では"having tea party"って言うからね。おままごと=まんまごっこだから、英語で言うおままごとがなにやら楽しそうな、余暇的なものを感じさせるのに対して、日本語のおままごとは食事、ということになるわけで、どこか生活への直結を感じさせる。「役割」を大切にする社会であることをすぐに見抜いている。
 皆幸せそうだ、というような視点もたまに見出されるが、それは、現代の旅行者が現地のことを深く内面化しないまま、自らの幻想を押しつける姿勢とは異なる。こんな理想郷があるのだ、という手放しの礼賛ではなく、むしろ、こうした世界が体現し得るのか、という素直な感慨が綴られている。

ブータン 幸せの国の子どもたち

ブータン 幸せの国の子どもたち

何事も知らず、何事も望まず、わずかに怖れるだけ

 東北を抜けたバードは、蝦夷に降り立つ。ここでブラキストンの名が出てきて、そうか、この時代の人間だったのか、と気づく。ブラキストンと言えば、津軽海峡に動植物分布の境界がある、とするブラキストン線である。アタリマエだろ、と思うかもしれないけど、海があるからといって生物の分布が必ずしも変わるわけじゃなくて、オーストラリアとニュージーランドの生物相はかなり近いけど、ボルネオではもうぜんぜん違ったりして、なかなかおもしろい。
 アイヌの人々の描写は、どこかレヴィ=ストロースの南米探訪を思わせた。ただ、レヴィ=ストロースの視線が絶望的なもの、熱狂的なものを想わせるのに対して、イザベラ・バードの視線は、使命的なもの、静謐なものを想わせる。どうやら少し調べてみると、バードの目的としてはただの旅行だけでなく、布教のための調査も念頭にあったよう。
 本書を読むとわかるけど、彼女は宗教の規律に従順と言うよりも、「宗教的なもの」にとても敏感で、宗教である/そうでないに関わらず、そういうものに価値を見出すことがとてもうまい人なのである。最近思うのは、「信じる」ことのロジックを見つけたり、つくりだすことができる人と、そうでもない人というのがいて、例えば新興宗教のようなものに過剰に傾倒してしまう人というのは、後者であるように思う。精神的な背骨となるものを用意できれば、個別具体的にどういうことを自分のなかに取り入れるか、はかなり自由に取捨選択できるのであって、別にそれがキリスト教であっても、仏教であっても、イスラム教であっても、それぞれが矛盾していても、けっこう内面化できるものじゃないかな、と。
 バードはアイヌの人たちの生活を見て、やはり無邪気に表現していた。

なんという奇妙な生活であろう!何事も知らず、何事も望まず、わずかに怖れるだけである。

レヴィ=ストロース---入門のために 神話の彼方へ (KAWADE道の手帖)

レヴィ=ストロース---入門のために 神話の彼方へ (KAWADE道の手帖)