それは恋愛に似ている
新宿の古本市で見つけた。「生き物が好きな人」と「生き物を飼うことが好きな人」は、似ているようで違う。この一文で始まる。うん、まさにその通り。
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廃油ボールというのは、タンカーの事故などで流れでた原油が泥のように固まったものだ。この廃油ボールには、ルリエボシ(貝のなかま)、オキナガレガニ(蟹のなかま)、ウミアメンボなんかがついているのだという。それを、そのまま飼おうというのである。飼育ジャンキーのやることはわからないものだ。
生態系をまるごと飼うというのは一度やってみたいと思っている。上野の博物館でやっていたダイオウイカ展では、死んだクジラの肉と骨に成立する鯨骨生物群集というのが紹介されていて、大変興味深かった。ホネクイハナムシとかもう、どこのモンスターだよ、という。まあ、飼えるものじゃないけど。
とはいえ生き物を飼うのって、正直、あまり楽しいものじゃない。カブトムシが死んでコバエがたかってしまったときも、ハムスターが逃げ出してしまったときも、ヤモリの足を間違ってプラケースの蓋で挟んでしまったときも、アブラハヤがみんな白点病にかかってしまったときも。なんとも落ち着かないし、申し訳ない気持ちと、どうしようもなく嫌な気分でいっぱいになる。それでもまた、生き物を飼いたいと思うのはなんでなんだろうか。
僕は、恋愛によく似ている、と思ったことがある。不愉快な思いを散々して、それでも、もう一度体験してみたいと思うのは、その体験でしか得られないものがあるということが、ほとんど本能的にわかっているからだ。そして、損得の問題ではない、ということ。
ある朝タイリクバラタナゴの稚魚が水槽に突如として現れたときの感動は、タイリクバラタナゴの稚魚を野外で見るのとはぜんぜん違う。二枚貝を入れて、なかなか産卵しないだろうな、でももしかしたらあるいは?などと考えたり。人の気配はないほうがいいらしいとなにかの本で読むと、できるだけ水槽には近づかないようにしてみたり。
積み上げてきている過去があるのだ。野外ではそうはいかない。野外ではどうしたって人間は外部者にしかなれない。あの人のことを遠くから見つめていればそれで十分なんです、って?うーん、まあ、なかなかそれで満足できる人はいないんじゃないかな。特に一度知ってしまえば。そういうことです。